No.25 平成10年1月15日号 もう一人の西郷さん1 ~西郷寅太郎と習志野~

更新日:2022年09月29日

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もう一人の西郷さん1 −西郷寅太郎と習志野−

 昨年秋に市内のお宅から、ボトルシップが発見されました。30センチほどの瓶の中に、精巧な帆船の模型が組み立てられ、背景にはヨーロッパのものと思われる森や古城が描かれています。大切に保存していてくださった歌田實さん(津田沼7丁目)のお話では、大正の初めごろ、実籾にあったドイツ兵捕虜収容所に、当時学校の先生をされていた歌田さんのお母さまが、生徒を連れて見学にいった際、捕虜からプレゼントされた物ではないか、ということです。習志野にあったドイツ兵捕虜収容所を物語る、数少ない貴重な遺品です。

ボトルシップの白黒写真

ドイツ兵捕虜がつくったボトルシップ

 この収容所は、現在の東習志野保育所(東習志野5丁目)あたりにありました。
 大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦の折、日本は連合国側に立って参戦し、中国のドイツ植民地青島〔チンタオ〕を攻撃しました。この際、降伏したドイツ軍人約4,500名の一部が習志野に収容されました。
 95,000平方メートルの敷地内は、宿舎用バラックの他、サッカー場やテニスコートなどの運動施設、野菜や花の畑、動物の飼育場、円形小音楽堂等の施設があり、捕虜という過酷な環境の中で、ドイツ人たちはより文化的で快適な生活をしようと努力したようです。詳しい事はわかりませんが、捕虜主催の展覧会が開かれ、絵画や木工作品の他、蒸気機関車やモーターの模型が展示され、訪れた住民たちとの交流も行われていたようです。
 日本側も、捕虜の取り扱いには慎重でしたが、収容所長の考えによって捕虜への対応に差があったようです。この習志野捕虜収容所の所長が「もう一人の西郷さん」西郷寅太郎陸軍中佐でした。(続きは次号で)

郵便物の受け取りを行っている人々の白黒写真

故郷からの懐かしい便り(郵便物の受け取り)

注釈:ドイツ兵捕虜に関する資料、遺品等をお持ちの方、またエピソード等をご存じの方がいらっしゃいましたら、教育委員会社会教育課文化財係(047-451-1151 内線462)までご連絡ください。

(注意)習志野俘虜収容所については「第一次世界大戦と習志野―大正8年の青きドナウ―」を参照してください。

この記事に関するお問い合わせ先

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所在地:〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号 市庁舎2階
電話:047-453-9382 ファックス:047-453-9384
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