歴史・文化・観光

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歴史

上:きれいに手入れされた植木や葉が赤く色づいた植木の奥に建っているかやぶき屋根の建物の写真、下:読売巨人軍発祥の地と書かれた石碑と選手の手形の写真

 習志野市内では、旧石器時代から人々が暮らしており、藤崎堀込貝塚、鷺沼古墳、谷津貝塚など多くの遺跡があります。
 明治時代に入ると、習志野市周辺には多くの陸軍施設が置かれ、軍都として発展していきます。
 第二次世界大戦後、多くの旧軍施設は学校・住宅・工場などにかわり、昭和29年に津田沼町と旧幕張町の一部が合併し、習志野市が誕生しました。
 高度経済成長期に臨海部は埋め立てられ、住宅地の造成が進み、首都圏のベットタウンとして、文教住宅都市として発展しています。
 また、習志野市は読売ジャイアンツの発祥の地。1934年アメリカ大リーグ選抜が来日したとき、両チームの練習場となったのが旧谷津遊園内にあった谷津球場でした。その後、谷津球場は取り壊され、現在は跡地につくられた谷津バラ園入口脇に歴史を伝える石碑が建っています。

お祭り

左:お揃いの法被を着ておみこしを担いている沢山の祭りの参加者の写真、右:天狗のお面を被り着物を着て傘をさして歩く人物の写真

 第二次世界大戦後に誕生し、高度経済成長とともに首都圏のベッドタウンとして発展を遂げた習志野市ですが、千葉県指定無形民俗文化財の「下総三山の七年祭り」が開催されるなど、伝統・文化を大切に受け継いでいます。
 また、夏には市民まつり「習志野きらっと」が開催されます。グルメ、ステージイベント、パレードなど盛りだくさんのイベントで毎年多くの人でにぎわいます。

「習志野市シティセールスコンセプトBOOK」

習志野市シティセールスコンセプトBOOK

 本市が“選ばれるまち”であり続けるために、これまで築かれてきた“まちの魅力”を検証し、新たな魅力を創出し、効果的に発信することにより「習志野ブランド」を確立し、住民の「愛着醸成」と「定住促進」を図ります。
 「習志野市シティセールスコンセプトBOOK」はシティセールスを推進するにあたり、基本的な考え方を示すものとして作成しました。