No.18 平成9年2月15日号 鉄道連隊ゆかりの地

更新日:2022年09月29日

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鉄道連隊ゆかりの地

 市民の健康づくりに一役買っているマラソン道路。これは津田沼にあった陸軍鉄道第二連隊の演習線の軌道跡を利用していることをご存じの方も多いことでしょう。この演習線は沿線にあった騎兵連隊(大久保)、糧秣廠〔りょうまつしょう〕倉庫・高津廠舎〔しょうしゃ〕(ともに東習志野)に各種資材を運搬するとともに、機関車運転や軌道敷設の訓練などに利用され、千葉まで延びていました。また、松戸方面まで延びる演習線もあり、戦後この軌道跡を利用して新京成線が作られました。

新京成線の橋梁と近くの民家を写した白黒写真

JR総武線をまたぐ新京成線の橋梁

 当時の鉄道連隊の軌道は、軽便鉄道の60センチ幅が中心でしたが、これに平行して津田沼から大久保までは106.7センチ幅の軌道も敷設され、場所によってはさらに広い143.5センチの軌道も敷かれていました。このようにいろいろな軌道の敷設・運転を演習することにより、戦地でのさまざまな事態に対応できるよう訓練をしていたようです。その中でも特に軽便鉄道の敷設には速さが要求され、繰り返し敷設訓練が行われていました。また、運転の訓練のため、兵士が総武本線などの機関車の運転に派遣されることもありました。
 この鉄道連隊にゆかりのものが、市内にいくつか残っていますのでご紹介しましょう。よく知られたものでは、当時の連隊正門の門柱が、現千葉工業大学の門柱として利用されています。赤レンガのしっかりとした造りで、往時の雰囲気をとどめています。
 次にJR総武線を高架でまたぐ新京成線の橋りょうが挙げられます。これは鉄道連隊が、中国大陸に派遣の折、現地で不要になり持ち帰ったものといわれています。年代など詳しいことはわかりませんが、赤レンガの土台が残り、戦前の面影を残しています。
 最後は津田沼のイトーヨーカドー前の津田沼1丁目公園にある蒸気機関車です。これはユネスコ村にあったものを平成5年に譲り受け、鉄道連隊の材料廠があったこの地に移設したものです。この機関車はK2型(改軌)と呼ばれ、1942年から44年までの間に47両作られ、国内のみならず中国大陸やアジアの戦地で物資や兵士の輸送用として利用されていたようです。
 軍用列車の汽笛が響いた津田沼駅も、平和な時代の今は、通勤通学の乗り換え駅として多くの乗降客で大いににぎわっています。

軽便鉄道の敷設作業を行っている兵士の白黒写真

鉄道第二連隊 軽便鉄道敷設作業

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