No.17 平成9年1月15日号 巡礼の道しるべ

更新日:2022年09月29日

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巡礼の道しるべ

 白装束を身にまとったお遍路さんが、弘法大師ゆかりの霊場を巡拝する四国八十八ヵ所巡りの光景を、ご存じの方も多いことでしょう。今でこそ観光バスにより、2〜3日の日程でまわることも多くなりましたが、徒歩で四国全土に広がった霊場を巡るのは、昔は並大抵の苦行ではなかったことでしょう。この四国巡歴は平安時代の修行僧が「四国辺地」と呼ばれる修行をしたことに由来していますが、これに弘法大師の出身が讃岐であったことが結びつけられ、室町時代中期以降に四国全土をまわる巡礼として人々の信心を集めるようになってきました。これが最も盛んになったのが、江戸時代の文化・文政年間(1804年〜1830年)で、各地に四国八十八ヵ所のような弘法大師ゆかりの霊場をまわる巡歴のコースが作られました。
 谷津1丁目の路傍にたたずむ小さな道しるべ。これにはかわいい弘法大師が彫り込まれています。正面に「大師道谷津区」と刻まれていることから分かるように、「吉橋組大師講」と呼ばれる弘法大師ゆかりの地をまわる巡礼のための道しるべです。この吉橋組は八千代市の吉橋を起点として、八千代市、船橋市、習志野市、鎌ヶ谷市にまたがる八十八ヵ所の弘法大師ゆかりの寺社をめぐり、弘法大師の徳を讃え、祈願をするというものでした。習志野市内の真言宗派寺院の多くが「吉橋組八十八ヵ所」の霊場に数えられ、多くの信者がこの講に参加していました。吉橋組大師講は4月26日からの5日間、9月26日からの5日間春夏の年2回行われていました。参加者は時には700〜800人を数えることもあり、「南無大師遍照金剛」〔なむだいしへんじょうこんごう〕ののぼりを先頭に、長い列を作って巡礼の旅を続けました。昭和40年代までは、巡礼期間の信者たちの宿泊は地元の民家で分宿していたため、当番に当たった家では、料理やお酒の用意や、布団(貸し布団を利用したこともあったそうです)の準備、翌日の弁当づくりと接待に大わらわだったそうです。
 このように盛んに行われた吉橋組の大師詣りも、参加者の減少や高齢化などの理由から、平成7年頃から行われなくなったようです。

弘法大師と大師道谷津区の文字が彫り込まれている石碑の写真

大師詣りの道しるべ(谷津1丁目)

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