No.5 平成7年10月15日号 掘り起こされた縄文の歴史 ~藤崎3丁目南遺跡~

更新日:2022年09月29日

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 平成6年11月29日より7年3月6日まで、習志野市遺跡調査会が発掘していた「藤崎3丁目南遺跡」(藤崎堀込貝塚の北西約400メートル)の調査報告書がこのほどまとまりました。
 それによると、本遺跡は本来、遺跡としては認知されていましたが、発掘調査の結果、4000年の眠りからさめ、初めて縄文時代の「貝塚」遺跡であることが分かりました。

藤崎3丁目南遺跡から様々な穴の跡が見つかった白黒写真

環状の複数の子穴は柱の跡、奥の大穴は炉の跡

 出土した貝類遺骸は18種類、45000点余りで、主な物はオキアサリ、ハマグリ、キサゴですが、アサリ、シオフキ、オキシジミなども確認されました。
 唯一の住居跡からは縄文人が腕輪に使ったと思われるアカニシの殻に穴を開けた貝輪〔かいわ〕の一部や、魚の料理用のカガミガイで作った貝刃〔かいじん〕などもありました。
 貝以外には、周辺では出土することの少ない、深さ約2.5メートルと比較的規模の大きな動物捕獲用の陥穴状土抗〔おとしあなじょうどこう〕が、わずか一基ですが、発見されており、主にイノシシの捕獲に使われていたようです。また、その陥穴から打製石斧〔だせいせきふ〕が1点出土しています。全長15センチメートルぐらいとそれほど大きくはありませんが、縄文人が土抗構築にあたって利用した道具であり、掘削の際の「落とし物」のようです。
 縄文早期に始まり後期に終わりを迎えるこの集落は、生活の痕跡が断続的にわずかしか残っておらず、もっぱら狩場として利用されていたようです。
 縄文前期後半以降から中期後半は、出土する遺物の数が少なく、散在していることから、拠点的な集落形成よりは、漁労・狩猟活動のためのキャンプ地的な性格をもった「場」であった可能性が高く、弥生時代以降についても遺物が発見されていないため、やはり居住の場として利用されることはなかったと思われます。
 ただし、自然環境に恵まれているため、集落よりは狩猟場や畑地として、また、生活活動の場として利用され、現在に至ったことと思われます。
 遥か縄文の昔の習志野に思いを馳せてみませんか。(社会教育課)

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