No.4 平成7年9月15日号 演習地の名残 ~圍壁(いへき)砲台~

更新日:2022年09月29日

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 「一望千里」と呼ばれた戦前の習志野は、騎兵連隊をはじめ多くの軍隊による演習が行われ、将兵の鍛練の地としてその名が知られていました。軍隊の演習では、予想される様々な状況を想定し、それに対応ができるように訓練が行われました。古くは日露戦争における203高地攻略に際しロシア軍要塞〔ようさい〕の永久防塁を模した建造物を作り訓練をしたりしたようです。(この保塁は戦後まで船橋市習志野台にありましたが、現在は土中に埋められています)習志野市域でも「支那圍壁砲台」と呼ばれる建造物を作り、訓練に使用しました。これは当時の中国大陸の建物を模したもので昭和9年に工兵隊によって建てられたという話が伝わっています。(中国大陸の都市の多くは城壁に囲まれていました)おそらく中国大陸に派遣される部隊の訓練に活用されたのでしょう。

広い敷地に銃眼が開けられた家屋がある支那圍壁砲台の白黒写真

「支那圍壁砲台」の絵はがき

銃眼が開けられた家屋の現在の圍壁を写した白黒写真

現在の圍壁

 この建造物は、当時の習志野の様子を伝える風景として絵はがきとなって販売されていました。この絵はがきを使って、故郷の家族に近況を連絡する兵隊も多かったことでしょう。
 この建造物が現在も東習志野の民家の敷地内に残されています。このお宅は戦後、開拓のために習志野に入植されたのですが、割り当てられた土地にこの建造物があり、倉庫として利用されてきたとのことです。
 このご夫婦のお話によると、訓練のため戦車や軍靴〔ぐんか〕で踏まれたこの土地の土は堅く締まり、水もなかなかしみこまず、耕すのに一苦労だったそうです。また見渡す限りの原野のため風当たりが強く、建築中の家の屋根が飛ばされたり、砂埃で家の中が真っ黒になったりと現在では想像もできない苦労があったようです。しかし、建物は生活の場として思い出多いものだと話されていました。
 時代の推移とともに習志野の昔を語るものは失われつつありますが、この建物は戦前・戦後の姿を伝える貴重なものであるといえるでしょう。(社会教育課)

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