No.124 平成23年1月15日号 ウサギ~習志野原のウサギ~

更新日:2022年09月29日

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ウサギ〜習志野原のウサギ〜

 今年の十二支は卯(う)です。今回はこれを表す動物であるウサギをとりあげてみましょう。
 現在では、小学校でも飼育されたりしていますので、ウサギはペットというイメージが一般的でしょうが、今から100年前には、習志野でも野原でウサギが跳(はね)ている姿を見ることができたようです。

 現在の習志野市東習志野から船橋市習志野台・八千代市高津にかけての広い地域には、明治6年(1873年)から昭和20年(1945年)まで陸軍の演習場(えんしゅうじょう)がありました。演習場(えんしゅうじょう)設置の際に明治天皇がこの地を「習志野原」と命名し、これが習志野市の名前の由来になったことはよく知られています。ところで、この陸軍習志野演習場(えんしゅうじょう)を含むさらに広大な地域が明治16年(1881年)から大正11年(1922年)の間、御猟場(ごりょうば)(天皇と天皇が認めた者だけが狩猟(しゅりょう)できる場所)に設定されていました。習志野原御猟場(ごりょうば)といいます。その範囲は、現在の松戸・柏・白井・鎌ケ谷・船橋・八千代・習志野・千葉に及んでいます。御猟場(ごりょうば)ではウサギ・キジなどの鳥獣の多くが禁猟とされたため繁殖し、鳥獣による作物への被害も大きかったようです。そのため地元の農民はたびたび御猟場(ごりょうば)の解除を願い出ています。

 習志野原御猟場でどのくらい鳥獣が繁殖していたのかを間接的に示す新聞記事があります。日露戦争の翌年である明治39年(1906年)、御猟場を管轄する宮内省主猟局(しゅりょうきょく)の戸田局長、宮中顧問官伊東巳代治(きゅうちゅうこもんかんいとうみよじ)など十数名の一行が習志野御猟場で1月17日から20日の間、狩猟を行いました。狩猟した詳しい場所はわかりませんが、一行は薬園台の旅館に泊まっているので、成田街道を中心とした辺りではないかと思われます。獲物の最終結果は、「雉(きじ)二百羽、兎七十余耳、鳩三百余羽、雑鳥数百羽」だったということです。たった4日間の猟だったことを考えると、ウサギやキジなど相当に多かったことがうかがえます。

参考文献

  • 『東海新聞』第5354号、東海新聞社、明治39年1月24日
  • 『鎌ケ谷市史 資料編4・上(近・現代1)』鎌ケ谷市、平成7年
  • 「新ならしの散策 No.64」『広報習志野』第1035号、平成15年7月1日

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