No.115 平成21年7月15日号 東金(御成)街道の案内板

更新日:2022年09月29日

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東金(御成)街道の案内板

 今年3月、藤崎1丁目の藤崎交番交差点にある東金(御成(おなり))街道の案内板を改修しました。この機会に内容も一新したので、紹介します。

東金(御成)街道の案内板が設置されている写真

東金(御成)街道の案内板

 東金街道は、徳川家康が上総国東金(現東金市)での鷹狩りに向かうための通行路として造られたと言われ、御成街道とも呼ばれます。船橋を起点として、市内の藤崎・大久保新田・実籾を通り、犢橋(こてはし)・金親(かなおや)・小間子牧(おまごまき)を経て東金に至る約37キロメートルの道です。

東金(御成)街道を示した地図

東金(御成)街道の位置図

 慶長18年(1613年)12月、家康は翌年正月に東金で鷹狩りを行うため、佐倉藩主土井利勝に東金までの新道築造を命じ、沿道の村に工事が割り振られ、「提灯(ちょうちん)街道」「一夜(いちや)街道」の別名があるように、昼夜兼行(けんこう)の工事でごく短期間のうちに完成させたと伝えられています。ただし、家康がこの道を初めて使ったのは元和元年(1615年)11月ですので、実際の完成はこの頃だったと考えられます。

この道は鷹狩りのためだけでなく、政治的・軍事的な理由から造られたという説があり、また、家康の鷹狩りには軍事訓練・周辺諸大名の牽制(けんせい)・権威の誇示・庶民の視察などの目的もあったと言われています。徳川秀忠(ひでただ)も鷹狩りのためにこの道を何回か通行しましたが、寛永(かんえい)7年(1630年)を最後に東金での鷹狩りは行われなくなり、この道は役人の通行路・民間の物資輸送路・庶民の生活道となり、大部分は今日も道路として使われています。

なお、ここから南東100メートルほどの位置に一部が残る藤崎古道は、東金(御成)街道以前の道の名残であると伝えられています。

 東金(御成)街道については、「新ならしの散策」のNo.44~46(平成12年)でもとりあげています。市ホームページでご覧いただけます。

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