No.112 平成21年2月1日号 ウシ

更新日:2022年09月29日

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ウシ

 今年(2009年)の十二支は 丑 (ウシ)です。今回は、ウシを話題にとりあげてみましょう。

 ウシが日本列島に渡来したのは、今のところ弥生時代ころという説が有力です。ウシは日本では長い間、主に農耕・運搬に使われる動物でした。現在のように肉牛・乳牛としての利用が主になるのは、明治時代以降にヨーロッパ系の品種が輸入され、それまでのウシ(在来牛)の品種改良も進んでからのことになります。ちなみに在来牛は、現在の乳牛や和牛に比べて体格がだいぶ小柄だったようです。

大量の貝殻の中からウシの骨が見つかった出土状況の白黒写真

谷津貝塚D地点のウシの出土状況

 習志野市では平成11年に谷津貝塚D地点で、18年には谷津貝塚S地点で奈良時代(今から約千二百~千三百年前)のウシの骨が出土しました。D地点では、使用されなくなった竪穴住居の中に大量の貝殻が捨てられており、ウシはその中から発見されました(写真参照)。写真の下顎骨(下あごの骨)のほかに上顎骨・大腿骨の一部も出土していますが、全身がここに投棄されたとは考えられません。歯の状態から子牛と推定されています。ちなみにウシ以外の獣骨は出土していません。

メジャーで大きさを測定している出土したウシの左下顎骨の白黒写真

出土したウシの左下顎骨

 このウシはいったいなぜここに廃棄されたのでしょうか。全身ではないので、埋葬の可能性は低いでしょう。解体後に骨の一部がゴミとして捨てられたという解釈が最も可能性としては高いと思われます。しかし別の解釈もできます。奈良時代にはウシやウマなどを神に捧げて豊作や雨乞いなどを祈願する祭祀が行われていたことが『日本霊異記』などの文献から知られています。D地点のウシもそのような祭祀で犠牲として使われたものであったと考えることも可能です。

 残念ながら現時点ではどちらかに断定できるだけの証拠はありません。今後似たような事例の調査を積み重ねて、出土状況を比較検討していく必要があります。

 谷津の近隣でウシが飼われていたのか、他の地域から運ばれたのか、習志野市周辺でウシはどれだけ普及していたのか、そしてどのような飼われ方、使われ方をしていたのか…多くのことがまだ謎に包まれています。

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