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No.94 平成18年11月1日号 富士山への道−文化11年「富士山道中日記帳」その1

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.94

富士山への道-文化11年「富士山道中日記帳」その1

 実籾の鴇田禮司家文書(第2次)の中に、文化11年(1814年)「富士山道中日記帳」(以下『道中日記』)という史料があります。この史料は、実籾村(当時)から富士山に登り、帰ってくるまでの旅の記録をつづったものです。

 江戸時代は、人々は自由に旅行をすることが禁じられていましたが、信仰を目的にした旅は許されていたため、「富士講」という信仰集団をつくり、旅費を出し合って富士山に行っていたようです。『道中日記』の作者も富士講の仲間と先達(リーダー)に導かれて富士山に向かっています。 

 6月18日に実籾を出発、行徳で1泊〜葛西〜両国〜四谷〜府中と現在の東京都を横断し、19日には日野宿に宿泊しています。翌日は高尾山を越えて相模(神奈川県)に入ります。ここから大月(山梨県)までは、現在の中央高速道とほぼ同じルートをたどります。『道中日記』の筆者は、生まれて初めて見る山中の風景にたいへん興味を持ったようで、「杉・松其外諸木多し」「不思議成る岩、間々有」と記しています。また、旅の楽しさは今も昔も変わらないようで、名物の茶屋の団子や強飯に舌鼓を打っています。
 6月22日、大月から谷村(都留市)を通り、富士山の登山口がある上吉田(富士吉田市)の浅間坊という「御師」の所に泊まっています。御師とは、参詣者の案内や宿泊を業とした宗教者で、登山と参拝の一切の面倒も見てくれる頼もしい存在でした。

 習志野市域の富士講の場合、堀端屋小佐野坊という御師の所に泊まることが多かった様ですが、この時は一行の先達(江戸本所の加藤忠治)と関係が深い浅間坊を利用しています。
 6月23日、いよいよ霊峰富士へと登ります。「御山晴天」と梅雨の季節にしては絶好の登山日和に、はやる気持ちを抑えながら北口浅間神社の登山門から頂上を目指します。
(つづく)

参考文献

「『富士山道しるべ』を歩く」
富士吉田市歴史民俗博物館
「富士信仰と富士講」
平野 栄次

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