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No.91 平成18年8月1日号 シリーズ・災害と闘う4 大正6年の大津波(高潮)

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.91

シリーズ・災害と闘う4 大正6年の大津波(高潮)

 「大きな五大力(船)が、京成津田沼駅の方まで流されていって、国鉄(現在のJR)の線路の土手で止まっていた。鉄道連隊と騎兵連隊の兵隊さんが、大きな綱をつけて引っ張って運んでくれた」 これは、「大正6年の大津波」と呼ばれる高潮水害を経験した鷺沼の古老の証言です。

 大正6年(1917年)9月30日から翌朝にかけて、東京湾に侵入した台風によって発生した高潮は東京湾の沿岸に大きな被害をもたらしました。この時の潮位は通常より+3メートルで、現在までの東京湾の最高潮位を記録しました。この時、津田沼町の海岸部も大きな被害を受け、久々田(現在の津田沼)の下駄屋さんでは子供も含めた一家7人が死亡し、奉公人2名が天井から茅葺き屋根を突き破ってやっと命拾いをしたという話が残っています。被害は千葉県で死者・行方不明205名(全国1,301名)、7,518軒(全国66,492軒)が全半壊し、多くの人が家や財産を失いました。

 この災害に対し、いち早く救援活動を開始したのは軍隊でした。前述した鉄道連隊と騎兵連隊は、連日被災地の後片付けに尽力します。また、大久保(現在の済生会習志野病院の場所)にあった陸軍衛戌病院は、本来は軍人しか手当をしない病院ですが、この時には一般被災者の治療を行っています。民間でも義捐金を集めたり、炊き出しが行われ、途方に暮れる被災者に配られました。幕張小学校では「学校児童の罹災に対し、職員一同より被害児童に対して学用品を恵与して就学に便す」という活動もありました。先生から学用品をもらった子供は、さぞ嬉しかったでしょう。皇室からも下賜金が与えられ、また、華族女学校(現在の学習院大)常磐会より慰問袋が贈られたことも記録されています。
 なお、現在の東京湾の高潮対策は、大正6年の高潮を上回る伊勢湾台風(昭和34年)の最高水位+3.89メートルを基準にたてられています。

参考

『船橋市史 前篇』 『千葉郡 幕張町誌』

(教育委員会社会教育課)

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