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No.88 平成18年5月1日号 シリーズ・災害と闘う1 「東淵雑録」に見る幕末の災害

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.88

シリーズ 災害と闘う1 「東淵雑録」に見る幕末の災害

 鷺沼の医師である渡辺東淵は文政7年(1824年)から安政6年(1859年)の36年間にわったって近隣の村々の出来事を克明に記録しています。「渡辺東淵雑録」と呼ばれる古文書には多くの災害も記録されており、文面からは被害の大きさが伝わってきます。

  東淵雑録には、痘瘡(天然痘)・麻疹・痢病(赤痢)が、たびたび流行したことが記されています。東淵が医師であったため、病気に対して関心が高かったこともあるのでしょうが、江戸時代には伝染病が猛威をふるい多くの被害を出したことも事実です。幕末には冷鉄疫(コレラ)が流行し船橋漁師町周辺で多くの変死者が出たことや「御殿様より芳香散を村中へ下さる」と領主から薬が与えられたことなどが記されています。

  江戸時代には飢饉でも多くの人が亡くなっています。天保の飢饉では江戸周辺でも餓死者が出ており「世間に乞食の餓死多し」と書かれています。領主も「御救米・御救金」といった救援物資・資金を出しますが、困窮する人々には物価の上昇が追い打ちをかけます。東淵が記録した物価の変化を見ると、飢饉の時には白米や小麦・大豆などの穀類をはじめ薩摩芋なども値上がりが続いています。

 安政2年(1855年)大地震が江戸周辺を襲います。「大々地震 所々地割れる」いわゆる安政の大地震です。「西東へ割め通る 北南の裂け目少なし」とか、余震回数を記録しており、医師であり科学者でもある東淵の観察眼が光ります。「江戸吉原・本所・深川殊に甚し 江戸潰家出火にて死人数知れず」と、凄まじい江戸の被害についても書かれています。

 翌年には東京湾を大津浪(高潮か?)が襲います。「海神(船橋)より行徳(市川)まで塩浜大つぶれ」となり、海岸にはおびただしい船と家の残骸が流れつきます。二俣(市川)から掘江・猫実(浦安)まで「溺れ死人237人 西海神村19人」という数字からは被害の大きさが伝わってきます。

  万延2年(1861年)2月、東淵雑録の記録者である渡辺東淵はこの世を去ります。東淵が生きていたら、明治維新(1868年)で変わってゆく村々をどのように記録したでしょうか。

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