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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.78 平成17年5月1日号 「百年前の戦争2 日露戦争出征兵士の手紙」

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.78

「百年前の戦争2 日露戦争出征兵士の手紙」

 習志野市内には、今から100年前の日露戦争 の戦場から故郷の家族にあ 宛てて書かれた手紙が、いくつか残されています。その文面からは、兵士 が体験した戦争の姿が生々しくよみがえ甦ってきます。

 津田沼の都築鉄蔵伍長は佐倉にあった第2連隊に入営後、旅順攻略戦に参加。奉天会戦では、はじめ秋 山よしふる好古率いる秋山兵団に属し、途中から第8師団の立見兵団に属して戦いました。明治38年(1905年)4月3日叔父に宛てた手紙には「(敵 が)機関銃ヲ発射スルコト雨ノごと如シ」「戦友ヲたす扶クルいとま遑ナク、先日死傷シしんぎん呻吟スル味方 ヲ 飛越シ躍進又躍進」「(味方の)負傷者トいえど雖モ収容スルあた能ハズ、為メニ多クハ凍死」と 激戦の様子を伝えています。この戦闘の結果、第8師団の31連隊や41連隊は全滅、都築氏が 所属する第2連隊も「ほと殆ンド全滅」という状況でした。激戦の末、第2連隊は3月10日ついに奉天市街に突入し、ロシア軍が残していった火酒(ウオッカ)・角砂糖・ミルク・鮭缶などを戦利品としたと記されています。翌11日ロシア軍を追撃をする都築伍長が見たものは 「敵ノ死体ハ万ヲ以テ数フル程ニテ、至ル所足ノ踏場モ無」い光景でした。

 大久保の笠川鉄蔵伍長も第2連隊に所属していました。笠川伍長の手紙にも戦争の悲惨 な様子がつづ綴られています。「味方の負傷者退却することあた能はず、助けをこ 乞ふも誰一人そ 夫れに応ずる者なし」という状況で、笠川伍長の中隊も「将校全滅、指揮官として残るは曹長一名、下士卒残るは四分の一」という有様で、双方死力を尽くした戦いであったことが分かります。

大久保には、家族に対して戦死を伝える手紙も残されています。市角鉄五郎上等兵は近衛歩兵第4連隊に所属し、明治37年(1904年)10月13日、奉天南方での戦闘中に敵の銃弾が頭部を貫通し戦死をしました。中隊長の磯塚大尉が遺族に宛てて書いた手紙には、遺髪と 遺品を交付するという連絡とともに、鉄五郎氏の人柄と勇敢な最期の様子が記されています。端正な文字で丁寧に書かれた大尉の手紙からは、信頼する部下を失った悲しみが伝わってきます。(階級・氏名などは、『千葉郡史』などに依りました)

(注釈)前回の日露戦争の記念碑について、屋敷の天津神社にあるという情報をいただきました。まことに有り難うございました。社会教育課では、ひきつづき習志野市と日露戦争に関する資料を探しています。
(電話:047-451-1151(代表) 内線462)までご連絡ください。

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このページは社会教育課が担当しています。
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