No.51 平成13年9月1日号 ならしの“よもやま話” ~埋蔵文化財編~

更新日:2022年09月29日

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ならしの“よもやま話” -埋蔵文化財編-

 習志野市では現在、縄文時代や古墳時代、中近世までさまざまな時代の遺跡(昔の人々が生活していた痕跡)が49か所確認されています。埋蔵文化財は通常土の中に埋まっているので、普段の生活の中ではあまり気がつかないかもしれませんが、市内を歩いてみると結構遺跡が点在しています。今回はその遺跡の一つである藤崎堀込貝塚を訪れた親子の会話を紹介したいと思います。

古代人親子のイラスト

子 「お父さん、ここにはどうしてこんなに貝殻が散らばっているの?」
父 「それはね、ここが何千年も昔の縄文時代の人たちが残した貝塚だからなんだよ」
子 「えっ、貝塚ってなあに?」
父 「貝塚っていうのはね、昔の人たちが、食べていた貝の殻などを長~い間捨て続けて堆積したもののことを言うんだよ。それで貝殻が混ざっているんだ。しかも、この貝塚からは貝だけじやなくて、シカの骨とかも見つかっているんだよ」
子 「ふ~ん、貝塚って貝殻だけがあるんじやないんだ」
父 「そうなんだよ、例えばここからはオキアサリやハマグリ、マテガイといった貝や、アジ、サバ、ハゼのような魚、鳥、動物、カエルだって発掘で見つかってるんだ。いろんなものを当時の人たちは食べていたんだね」
子 「へえ~、昔の人が食べていたものもわかるんだね」
父 「それとね、地面をよく見てみると、貝と一緒に縄目模様の土器なんかが見つかったりする場合があるんだ。それは縄文土器といって昔の人が使っていたお茶碗なんだ。ほかに石斧といった石器も貝塚から出てくるから、こういった貝塚からは、昔の人たちがどんな道具を使っていたとかがわかるんだよ」
子 「ふ~ん、貝塚ってすごいんだな。市内の他の場所でも貝殻が散らばっているところがあるけれど、それも貝塚なのかなぁ?」
父 「う~ん、そういう場合もあるけれど、そう単純なものじゃないんだ。中には江戸時代や明治時代に畑の肥料としてまかれた貝もあるんだよ」
子 「じゃあ、市内では他にどんなところに貝塚があるの?」
父 「昔の人たちはね、ここと同じように、貝などの食べ物が多く採れる海近くの高台に住んでいたんだよ。縄文時代は海面がもっと高くてね、例えば京成津田沼駅の近くまで昔は、入り江だったんだ。つまり昔の海岸線は陸地の奥の方まで入り込んでいて、その近くに、ここ藤崎堀込貝塚とか花咲貝塚、屋敷貝塚、谷津貝塚などが残っているんだ。でも今は道路とか建物になってしまっている所が多いからわかりにくいけどね。だけど、勝手に掘り出そうなんて思ったりしてはいけないよ。貝塚はみんなの大事な宝物だからね」
子 「うわ~、そうなんだ。僕のよく歩いている道も、昔は縄文人たちが歩いていたかもしれないんだね」

 この少年の思いは、貝塚を通して古代へと大きく膨らんでいったようです。このように、埋蔵文化財には古代への扉を開く貴重な鍵が残されています。

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