No.40 平成11年11月1日号 遠く祖国に思いをはせて

更新日:2022年09月29日

ページID : 4733

遠く祖国に思いをはせて

 囚われの身となり、帰郷の念かなわず異国の地に果てた若者の魂は、遠い祖国に帰り着くことができたのでしょうか。

騎兵墓地へ向かう人々の白黒写真

騎兵墓地へむかうドイツ人の葬列

1914年から1920年まで習志野の地にあったドイツ人捕虜収容所は、他の収容所と比較しても優良なものと判断されていました。大正5年当時、まだ中立国だった在日アメリカ大使館のウェルズ書記官の視察に関する報告書によると「視察員ノ概評ハ俘虜待遇上ニ付イテハ充分ト認メ、殊ニ衛生上ニ至リテハ成績佳良ナリト唱ヘ…」と記録され、西郷所長以下の日本側の捕虜の扱いは妥当なものであったようです。とくに報告書にあるように、衛生面には心を配り、捕虜の健康を守る努力をしました。隣の大久保にあった陸軍病院(現・国立習志野病院)の軍医による診察や、毎月行われた体重測定の記録が残されています。しかし、そのような努力にも関わらず、習志野収容所だけで30名のドイツ人が亡くなっています。そのうち25名が、当時世界中で大流行したスペイン風邪とよばれるインフルエンザによるものでした。

 収容所で亡くなったドイツ人は、戦友たちによる心のこもった哀悼歌に送られ、習志野演習場の一角にあった陸軍の騎兵墓地(現在の船橋市営習志野霊園)に埋葬されました。
 現在この地には、日本、(旧)ソ連の戦没者の慰霊碑と並んで、習志野で亡くなったドイツ人30名の名前が刻まれた慰霊碑が建てられています。そして、毎年11月の「ドイツ国民哀悼の日」の近くには、在日ドイツ大使館の駐在武官の手により、ドイツ国旗をあしらった花輪がたむけられ、帰国の願いがかなわなかったドイツ人の魂を慰めています。

慰霊碑に花輪をたむけるドイツ大使館の駐在武官の後ろ姿の白黒写真

慰霊碑に花輪をたむけるドイツ大使館駐在武官

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