No.36 平成11年5月1日号 習志野に残っていたドイツ民謡

更新日:2022年09月29日

ページID : 4737

習志野に残っていたドイツ民謡

 大正4年(1915年)から同8年(1919年)まで東習志野にあった、第一次世界大戦のドイツ人捕虜収容所については、このコーナーでも既に何回か取り上げましたが、去る2月20日には、習志野市民会館に大学教授のぺーター・パンツァー博士をお招きして、「大正8年の青きドナウ」と題する講演会を行いました。
 博士は、貴重な資料を使って、習志野にはドイツ兵ばかりでなくオーストリアの捕虜もいたこと、彼らは巡洋艦カイゼリン・エリーザベト号で日本に親善訪問に来たところ、皮肉なことに日独間の戦争に巻き込まれてしまい、捕虜として習志野で暮らすことになったことなど、これまであまり語られていない興味深い話を聞かせてくださいました。

シュナーダヒュップフェルの歌詞

「シュナーダヒュップフェル」の歌詞。収容所の人々が即興で作りました

 ところで、博士は講義の中で、習志野のドイツ兵が書き残した彼らの歌「ナラシノ・シュナーダヒュップフェル」を披露してくださいました。これは、南ドイツとオーストリアだけで唄われる戯れ歌で、一人が即興で歌っては全員でリフレイン(繰り返し)を、また次の者が歌ってはリフレインをと、ぐるぐる回していき、即興に詰まってしまった者が罰としてその場のビール代を出す、という楽しい歌です。「ナラシノ・シュナーダヒュップフェル」には、捕虜生活の苦楽のスケッチが、南ドイツ方言で歌われています。
 この日、会場にお見えになった谷原三郎さん(実籾町4丁目在住)は、博士の歌を聴いて、思わず「あッ!」と思ったそうです。谷原さんのお母さまは既にお亡くなりですが、大正のこの頃には、ドイツ兵の洗濯を手伝いに、収容所へ通われていたそうです。谷原さんが驚いたのは、この歌が、お母さまが生前、掃除のときなどによく口ずさんでいたメロディーだったからでした。お母さまは、収容所から流れてくる調子のよいこの曲を耳で覚え、後々まで忘れずにおられたのでした。
 習志野にドイツの民謡が残っていた、しかもそれを伝えたのは第一次世界大戦で異郷の地に捕虜として生活していた人々で、それを聞き覚えたのも私たちの郷土の人々でした。習志野市史にとっては、この上なく貴重な発見となりました。
注釈:パンツァー博士の講演録は、各図書館で閲覧することができます。また「シュナーダヒュップフェル」の楽譜を用意しました。歌ってみたい人は、社会教育課までお申し出ください。

シュナーダヒュップフェルの楽譜

この曲に合わせて歌をつくります

ぜひ「シュナーダヒュップフェル」のメロディーを聴いてみてください。

楽譜は上記ファイルから印刷できます。

この記事に関するお問い合わせ先

このページは社会教育課が担当しています。
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電話:047-453-9382 ファックス:047-453-9384
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