No.34 平成11年2月15日号 トゥルンフェライン ナラシノ ~習志野体操協会~

更新日:2022年09月29日

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トゥルンフェライン ナラシノ −習志野体操協会−

 東習志野にあったドイツ人捕虜収容所では、音楽活動のほかにもさまざまな活動が行われていました。そのひとつが活発なスポーツ活動です。
 ドイツでは、19世紀に入ると、トゥルネン(いわゆるドイツ体操)と呼ばれる教育実践活動が始まりました。これは運動をとおして心身を鍛練し、 ドイツ民族としての誇りと自覚を持った国民の育成をはかるものでした。このトゥルネン活動の精神は、現在のドイツでも社会教育の充実という面で、脈々と息づいています。

組体操をしている人々の白黒写真

トゥルネン体操の見事な組体操

そのトゥルネン活動が、習志野収容所でも盛んに行われていました。
 青島〔ちんたお〕の陥落後、一部のドイツ人たちは東京の浅草本願寺に収容されました。ここでドイツ人を悩ませたのは、敷地の狭さでした。狭い境内でサッカーをしていたところ、ボールが本願寺の屋根を直撃し、瓦を壊してしまった話も伝わっています。しかし、そのような環境の中でも、ドイツ人たちは、トゥルネン活動にのっとった「体操協会」を設立して、運動に励んでいました。
 そのドイツ人たちが、新しい収容所である習志野に移送されたのが大正4年(1915年)9月7日でした。新しい80,000平方メートルの敷地(後にさらに拡充)には広場も多くあり、運動好きのドイツ人は大きな喜びを感じました。さっそく「習志野体操協会」がスタートし、11月には陸上競技やサッカーなどの種目による体育祭が開催されました。
 ちなみに100メートル走は、12.04秒でO・M・D(海軍東アジア分遣隊)の隊員が優勝した記録が残っています。
この習志野体操協会は年鑑を発行するほど活発になり、解放の日まで、捕虜たちの心と体の健康維持に大いに役立つ活動を続けました。

コート内でテニスを楽しんでいる2名の白黒写真

テニスを楽しむドイツ人(遠方の森は現在の東習遠方の森は現在の東習志野8丁目方面)

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