歴史的変遷

更新日:2022年09月29日

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歴史的背景

明治40年10月に千葉県に移った鉄道隊は第一、第二大隊が千葉に置かれ、第三大隊は津田沼(現在千葉工大)に移り、材料廠(しょう)[現在のイトーヨーカ堂の地]が設けられ、大正7年10月、千葉鉄道第一連隊と津田沼に第二連隊、津田沼−千葉間に訓練鉄道が敷かれました。軍事施設として、大正昭和と軌道敷の整備、鉄橋構築、軌道設置、運転の訓練に使われました。現東習志野5丁目から新栄1丁日(一部船橋地区)の2,810メートルの曲線や直線が演習に最適だったようです。当時の子ども達が、兵隊達の演習、汽車を見ようと集まってきましたが、終戦後は軌道敷地は荒れ放題となりました。昭和27年頃、大久保地元有志が軌道敷地に桜を植えるにあたり、役場に陳情して、地元で出資して千本桜の構想を打ち立てました。昭和34年、市は払い下げを申請し、再三協議を重ね、昭和43年に正式に国から借り受ける契約を交わしました。昭和44年12月1日、広報習志野に青少年の健康道路に、本市の目標とする文教住宅都市のイメージにつながる道路として、市長以下関係職員が総力をあげて、市民はじめ地域関係者への協力について掲載しています。

ネーミングの由来

昭和51年6月に歩行者専用道として愛称を募集し、同年11月に「ハミングロード」に決定しました。選考理由は「自然にハミングしたくなるような楽しい道と、歩く人のはずむ心が表現されている、明るく、呼びやすい名である」ことでした。

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