日本画家 時田直善

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作家について

時田直善氏は1907(明治40)年、市原市に生まれた千葉県を代表する日本画家です。
1936(昭和11)年、日本画壇の重鎮、川端龍子主宰の青龍社展初入選後、1937年、結婚を機に習志野市津田沼に転居し、アトリエを構え、創作活動を本格化させました。青龍社での活躍はもとより、龍子死後、青龍社解散により直善氏が中心となって設立した東方美術協会で活躍しました。
直善氏は、房総の自然や生き物を題材にした秀作を数多く残していますが、特に鯉を題材にした絵画は魅力的であり、「鯉のトキタ」と称されています。晩年は、トキの絵の制作に没頭し、2000(平成12)年10月、亡くなる直前まで絵筆をとり制作活動を行っていたそうです。
また、直善氏は習志野文化ホールの緞帳「祝舞」の原画を描いています。習志野文化ホールにて、ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。直善氏は習志野市の美術界の発展に貢献されるとともに、習志野市美術展覧会の発足にも尽力されました。

時田直善 年譜
1907(明治40)年 1月3日、千葉県市原市(旧五井町)に生まれる。
1924(大正13)年 川端画学校日本画科に入学する。
1926(昭和元)年 川端画学校の全過程を修了し、蔦谷龍岬の鐸鈴社に入門する。
1937(昭和12)年 習志野市津田沼に転居する。
1966(昭和41)年 師川端龍子の死去にともない、青龍社が解散となる。
1967(昭和42)年 旧青龍社有志と東方美術協会を創立する。
1976(昭和51)年 日本芸術会賞を受賞する。
1979(昭和54)年 習志野市文化功労賞を受賞する。
1982(昭和57)年 千葉県教育功労賞を受賞する。
1987(昭和62)年 紺綬褒章を受章する。
1989(平成元)年 勲5等瑞宝章を受章する。
2000(平成12)年 10月25日、永眠。(93歳)

 

作品紹介

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『鵜陣』(昭和17年)

第14回青龍社展 出品

『九十九里』(昭和26年)

第23回青龍社展 出品

『潮音』(昭和31年)

第28回青龍社展 出品

『ヨットハウス』(昭和34年)

第27回春季青龍社展 出品

『春汐』(昭和36年)

第29回春季青龍社展 出品

『富嶽』(昭和49年)

『扇影』(昭和54年)

第13回東方美術展 出品

『明』(平成3年)

第25回記念東方美術展 出品

『歓声』(平成8年)

第30回記念東方美術展 出品

『春泉』(平成11年)

第33回東方美術展 出品

『銚子』(制作年不明)

『月下』(制作年不明)

第11回春季青龍社展 出品

『なべ鶴』(制作年不明)

『白鷺』(制作年不明) 

『外川』(制作年不明)

『印旛沼』(制作年不明)

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