核兵器廃絶平和都市宣言
本市では昭和57年8月5日、千葉県内では初めて「核兵器廃絶平和都市」を宣言しました。
「核兵器廃絶平和都市宣言」
わたくしたち習志野市民は、文教住宅都市憲章を定め、生存と安全をまちづくりの基本とした。
わたくしたち習志野市民は、我が国が世界唯一の核被爆国として被爆の恐ろしさと、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え続けるとともに、再び地球上に広島、長崎の、あの惨禍が繰り返されることのないよう、恒久平和を強く願うものである。
わたくしたち習志野市民は、非核三原則の完全実施を願い、平和を愛する世界の人々と共に、恒久平和を実現することを決意し、核兵器廃絶平和都市をここに宣言する。
昭和57年8月5日宣言
経緯
昭和20年8月、広島、長崎の二つの都市に原子爆弾が投下され、尊い多くの命が奪われました。今もなお被爆によって多くの人々が苦しまれています。この惨禍を二度と繰り返すことがないよう国内をはじめ、全世界で反核、反戦の運動が展開されてきました。
本市は昭和45年に「文教住宅都市憲章」を制定し、教育、自然、生活環境を守り、市民の生命、身体、財産の安全を阻害する条件を排除することをまちづくりの基本理念とし、行政の指標としてきました。
そして、安全な市民生活を守るという究極の目標を貫くため、憲法の理念であり、人類の最も素朴な願いである恒久平和の実現と、核による惨禍を繰り返さないことを願い、13万市民(当時)の総意として決意すべく、習志野市議会に「核兵器廃絶平和都市宣言」として上程し、全会一致で可決されたことをもって、昭和57年8月5日に宣言しました。
市では毎年、この「核兵器廃絶平和都市宣言」を記念し、「核兵器廃絶平和都市宣言記念展」を開催しています。
広島・長崎の被害
項目 | 広島型 | 長崎型 |
---|---|---|
爆発点の高さ | 580±20メートル | 500±25メートル |
爆発点の温度 | 数百万度 | 数百万度 |
爆心直下の温度 | 3,000度から6,000度 | 3,000度から6,000度 |
爆心直下の圧力 | 1メートルあたり4.5トンから10トン | 1メートルあたり4.5トンから10トン |
投下目標 | 相生橋 | 三菱兵器製作所 |
爆発点 | 細工町島病院上空約580メートル | 松山町171番地上空約500メートル |
爆心地(爆発点直下) | 相生橋東南約300メートル地点 | 松山町171番地 |
直後の死者 | 約14万人 | 73,884人(当時の推定人口24万人) |
負傷者 | (注釈1) | 74,909人 |
被災人員 | 約18万人から20万人 | 120,820人 (半径4キロ以内の全焼全壊の世帯全員) |
被災戸数 | 全焼 47,969戸 全壊 3,818戸 |
全焼 11,574戸 (半径4キロ以内、市内の約3分の1) 全壊 1,326戸 (半径1キロ以内) |
注釈1:広島原爆被災者は正確に確認されておらず、現在も調査が進められている。
注釈2:広島原爆被害の概要、長崎市65年史ほかより作成
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更新日:2022年09月29日