No.99 平成19年7月1日号 習志野の地名2 「津田沼」誕生物語―津田沼・菊田・久々田

更新日:2022年09月29日

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新ならしの散策 No.99

習志野の地名2 「津田沼」誕生物語—津田沼・菊田・久々田

鉄道駅の駅舎に人々が集まっており、手前側に大きなバスが停まっている津田沼北口の白黒写真

 「津田沼」は、谷津の津、久々田(現・津田沼)の田、鷺沼の沼からついたことはよく知られている話ですが、実は違う名前になっていたかもしれません。

 明治22年(1889年)谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村が合併して、名前を津田沼村とし、これが「津田沼」の名前の元になります。この時の経緯を記した当時の記録『千葉郡町村分合取調』の「新村名選定ノ事由」のところには、「旧村名ノ内、其一ヲ存スルヲ欲セス」「稍(やや)大村ナルヲ以テ、三村名ヲ折衷(せっちゅう)シ」津田沼に決めたとあります。しかし、この部分をよく見ると、「久々田村ニ字菊田ノ地名アリ、著名ナルヲ以テ、今其地名ニ従ヒ」という文字が、上から赤線で消されていています。このことから、最初は「菊田村」に決まったものが「津田沼村」に変更になったということが分かります。

 では、なぜ菊田村が津田沼村に変わったのでしょうか、理由は書いてありませんが、現在でも名前がもとで合併がご破算になる例が少なくないことを考えると、久々田以外の村から菊田村の名前に異議が出たと考えられます。ふるさとの地名を残したいという思いは、今も昔も変わらないようです。

 なお、菊田神社がかつて久々田大明神と称していたことからも分かるように、菊田と久々田には関連があると考えられますが、由来も含めて詳しいことは分かっていません。「谷津」は谷津田のある地形から、「鷺沼」もかつて白鷺が生息する沼があったことから名付けられたと言われており、ともに、東京湾沿いの沼沢(しょうたく)(潟(がた))が陸化した場所が地名の由来になっています。このことから、菊田川沿いの地形が元になり、水が潜(くぐ)る田、または「くご」(崖(がけ)または植物名)が「くぐ」に転訛(てんか)したとも考えられます。

 明治36年(1903年)、津田沼村は津田沼町となり、やがて昭和29年(1954年)習志野市となり発展していきます。「津田沼」という地名も駅名や高校の名前などに使われ、多くの人に親しまれていますが、もしかすると「菊田駅」や「菊田高校」になっていたのかもしれません。

参考文献

「千葉市原郡における町村分合事業」(三浦茂一「千葉いまむかし」15)
『千葉県町村合併史』

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