No.84 平成17年11月1日号 習志野の教育5 津田沼の空の楕円球―千葉工業高校ラグビー部

更新日:2022年09月29日

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新ならしの散策 No.84

習志野の教育5 津田沼の空の楕円球—千葉工業高校ラグビー部

 今年は「きらめき総体」が千葉県で開催され、高校生の熱戦が繰り広げられました。習志野高校をはじめ、市内の高校が全国大会で活躍する姿を見ると、習志野市民としては思わず応援したくなるものです。

 今から50年ほど前にも、習志野市内の高校が全国大会に出場しました。習志野といえば野球やサッカーが有名ですが、出場したのはラグビー部です。
 昭和33年(1958年)といいますから習志野高校も開校したばかりで、習志野市の名前も全国的にはあまり知られていなかった頃のことです。津田沼(現在のイトーヨーカドー付近)にあった千葉工業高校ラグビー部が、千葉県勢として初めて、花園ラグビー場(大阪府東大阪市)で開催される第38回全国高校ラグビー選手権大会の出場を決めました。当時の千葉県にはラグビー部のある高校が8校しかありませんでしたが、その中でも千葉工業・千葉三(現千葉東)・佐倉の3校が最強といわれていました。当時の千葉工業の部員に聞くと、ライバルの千葉三高や佐倉高に勝つため、神奈川や群馬に遠征したり、暗くなるまで猛練習を重ねたそうです。

 昭和34年(1959年)1月1日に始まった全国ラグビー選手権大会で、1回戦山口県の山口水産と戦った千葉工業は、前半0対3とペナルティキックによる失点のみで互角に戦いましたが、後半2つのゴールを決められ10点を奪われてしまいます。千葉工業もトライとゴールを決めますが、5対13で涙を飲みます。こうして千葉工業は1回戦で惜しくも姿を消しますが、この試合で決めたトライは千葉県勢が花園で決めた初のトライであり、記録に残る大きなトライだったといえます。

千葉興業同窓会の校歌が刻まれた石碑の白黒写真

津田沼1丁目公園の石碑

 千葉工業は昭和42年(1967年)、千葉市内に移転したため、津田沼にあったことはあまり知られていませんが、津田沼時代の千葉工業は「黄金時代」と呼ばれ、優秀な生徒を輩出したといいます。工業立国日本の礎を築いた多くの人材を送り出した、千葉工業高校津田沼校舎跡地の津田沼1丁目公園には、「わが母校ここにありき」の文字と、「紅燃ゆる久久田の海に」で始まる校歌が刻まれた石碑が今も残されています。

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