No.68 平成16年?2月1日号 登録有形文化財 廣瀬家住宅

更新日:2022年09月29日

ページID : 5308

新ならしの散策 No.68

登録有形文化財 廣瀬家住宅

建物前に2つの植木鉢が置かれた廣瀬家住宅の白黒写真

昨年7月、津田沼6丁目の廣瀬さんのお宅の、4棟の建物(主屋・蔵・倉庫・井戸上屋〔じょうや〕)が国の登録有形文化財(注釈1)になりました。市内では3件目、住居としては初めての登録です。
主屋を建てた廣瀬弥兵衛は、法華経寺(現市川市)の仁王門を建てた名大工で、廣瀬さんのご先祖です。主屋は、明治末期に現在地に移築され一部改築されてはいますが、房総民家の特徴を良く保持し江戸時代の宮大工の自宅が今に残る古民家です。
蔵と倉庫は、雑穀問屋であった廣瀬家の商品保管倉庫として、明治になってから建てられたものです。蔵は鷺沼の大工邑山〔むらやま〕岩吉が建てたもので、倉庫は角寄蔵〔かくよせくら〕(注釈2)風の内部に特徴があります。井戸上屋は、昭和10年ごろの建築です。
調査の過程で、これらの建物を建てそろえた廣瀬秋之助について、いくつかの史実が明らかになりました。秋之助は、慶応元年(1865年)久々田村(現津田沼)に生まれ、船橋海神の御代川〔みよかわ〕広有の私塾や東京神田の蒲生重章〔がもうしげあき〕の漢学塾で学び、その後雑穀問屋を営むかたわら津田沼町会議員、名誉助役、千葉郡会議員・漁業組合長などを歴任した名士でした。
廣瀬家には秋之助が二つの塾で学んだ当時の和本・漢籍が多く残されています。その多くは、当時の私塾や漢学塾の教育内容を知るための資料として貴重なものです。たとえば、御代川塾では主に和算〔わさん〕(注釈3)を教えていましたが、微積分〔びせきぶん〕などの高度な内容から、米や麦の生産量を算出するといった実用的な数学まで教えていたことが分かります。史料をとおして幅広く、ユニークな教育の内容が伝わってきます。

  • (注釈1)登録有形文化財…国の文化財登録制度により登録された、建築後50年以上を経過した建造物。
  • (注釈2)角寄蔵…土壁がなく、柱を林立させ、板を外壁に張った強固な構造の蔵。
  • (注釈3)和算…江戸時代に発達した日本独自の数学。

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