このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
サイトメニューここまで

本文ここから

No. 6 平成7年11月15日号 石塔に刻まれた道しるべ

更新日:2007年8月22日

 江戸時代まで、習志野市域の北側には成田山詣での人々の往来で賑わった佐倉道(成田街道を公的にはこう呼びました)が通り、徳川家康が鷹狩りをするために作られた御成街道や、房総の主要道であった房総往還(海辺の安"房"から下"総"への道)が市域を貫いていました。それらは信仰の道、生活の道また流通の道として重要な役目を負っていました。しかし、交通手段が徒歩が中心だった当時の人々にとって、不案内な道を通るのは、さぞ心細い思いだったことでしょう。そのような人々にとって、道中の支えとなったものが道しるべでした。市内に残る道しるべをご紹介しましょう。
 東金(御成)街道と県道幕張・八千代線の交差点(実籾町3丁目)の北側50mのところの民家の塀沿いに3基の石塔があります。中心の青面金剛塔の側面に宝暦3年(1753)の年号とともに、「北 さくら道、南 海浜道」の文字があります。御成街道から主要な街道である佐倉道と房総往還にぬける間道をあらわす道しるべとして利用されていたのでしょう。このお宅の方のお話によると、本来は街道の交差点にあったものを、東金街道を拡張したおりに、今の場所に移したということです。

 また、農協屋敷集荷所の向かいの屋敷5丁目の角にも天保3年(1832)の道しるべがあります。正面には「たけいしみち、けミ川江」、右側面には「みもみみち、ながさく江」と彫られています。塀があるため裏面の文字の判読は困難ですが、それぞれ人差し指で方向を示した手が浮き彫りにされていて、ユニークさを感じます。地元では追分塔と呼んでいました。これは大きな街道には面していませんが、間道のひとつとして利用された道に建てられていたのでしょう。
 このほかにも、千葉街道に面した鷺沼3丁目に「右は江戸みち」と彫られた墓標があります。きっと、多くの旅人が行き交ったことでしょう。
 これらの道しるべは、今ではその役目を終えましたが、江戸時代の人々の姿を感じさせる貴重なものであります。(社会教育課)

問い合わせ先

このページは社会教育課が担当しています。
所在地:〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号 市庁舎2階
電話:047-453-9382 FAX:047-453-9384

キャッチボールメールを送る

本文ここまで


以下フッターです。

習志野市

窓口案内・連絡所

〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号
電話:047-451-1151(代表) ファクス:047-453-1547
開庁時間:平日午前8時30分から午後5時(祝日、年末年始を除く)
法人番号6000020122165
Copyright © Narashino City. All rights reserved.
フッターここまでページトップへ戻る