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No.98 平成19年6月1日号 習志野の地名1 諸説ある習志野の由来M

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.98

習志野の地名1  諸説ある習志野の由来

 習志野市の名前の由来をご存じですか?旧陸軍の習志野演習場から名付けられたことはよく知られていますが、「習志野」の由来についてはいくつかの説があります。

 明治6年4月末、今の習志野市、八千代市、船橋市などの一部も含まれていた「下総国大和田原」という広大な原野で陸軍の大演習が行われました。この際、演習を総監した明治天皇が後日大和田原を「習志野原」と命名し、軍の演習場にすることを決めました。

 命名の由来の一説として、この大演習の時に、豪雨の中全体指揮をとった篠原国幹(くにもと)少将の指揮が見事だったので、明治天皇が「篠原を見習え」から「習え篠原」から「習志野原」になったという説があります。 

 この説には、いくつか問題があります。一つには、後に篠原国幹が西南戦争で西郷軍の大隊長として闘い、明治国家の反逆者(後に名誉回復)になっており、その名を陸軍の演習場の名前にしておくことは考えにくいという点です。さらに天皇直筆と言われている命名書には「習志野ノ原」と書かれており、「志野原」ではないという点です。  

 しかし、「習え篠原」説が全くの虚説だとも思えません。 船橋市の石崎さんのお宅に残されていた古い手紙には、陸軍の大島中将から聞いた話として、明治天皇が篠原国幹の名前にちなみ習志野原と名付けたと書かれています。大島中将は明治6年には15歳なので、演習に直接参加したわけではないようですが、後年陸軍内に「習え篠原」説が流布(るふ)していたと想像できます。
 また、明治天皇が潔癖で勇敢な篠原を気に入っていたことも事実です。演習の前夜、暴風雨の中テントで過ごした天皇も、篠原の指揮ぶりを見て機嫌が良くなり、予定を変更して習志野原でもう1泊したということですし、 習志野原の命名にあたっては、わざわざ篠原を呼んでいます。

 一方では、「習志野」の名前の発案者は薩摩藩出身の吉井友実(ともざね)だったという説もあります。当時宮内少輔だった吉井が「彼の地は習志野原とでも名付けてはどうだ。」と徳大寺宮内卿と相談したという証言が残っています。 吉井がどうして「習志野」にしたのかは分かっていませんが、演習(ならし)を行うところだからとか、平(たいら)で均(なら)な所だからとも考えられます。

 このように習志野の由来にはいくつかの説があり、「習え篠原」説もその1つと考えた方がよさそうです。

参考文献

『明治天皇紀 第二巻』、『船橋市史 前篇』

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