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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.64 平成15年 7月1日号 「これから赴任する習志野は狐狸〔きつねたぬき〕のでる荒地…」

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.64

「これから赴任する習志野は狐狸〔きつねたぬき〕のでる荒地・・・」

 タイトルの言葉は、近代騎兵の父と言われる秋山好古〔よしふる〕少将が日清戦争後、帰国する際に発した言葉です。日清戦争の功績で金時計を贈呈されることを、「赴任地にふさわしくない」という理由で断ったときの言葉ですが、決しておおげさではありませんでした。
 習志野市域は近世には下野牧〔しものまき〕の一部だったり、隣接していました。明治になると牧は廃止され、開墾が始まりました。しかし、明治4年(1871年)には兵部省〔ひょうぶしょう〕が陸軍の演習に最適であるとして練兵場として申請し、明治7年(1874年)に民有地は強制的に買収されます。
 明治14年(1881年)には習志野原の一部(東金街道より北の地域)が、軍の演習以外の土地利用がないこともあって、全国に先駆け、皇室の御猟場〔ごりょうば〕(注釈1)に設定されました。この時期は地租改正事業の終了期で、人民の土地所有が認められたこともあり、皇室も土地所有の基盤を固める必要がありました。同時に欧化政策の一環で、ヨーロッパのような王室の狩場が求められたのです。さらに皇室に対しなじみの薄かった関東近隣の人に「狩猟する君主」という躍動感あるイメージを広めたかったとも推察されます。
 面積は千葉郡だけで約3,000町歩(約30平方キロメートル)ありました。地元関係者は宮中の申し出であることや被害も大きくないと判断し、これを認めました。しかし、実際には一般農地や居住地も含めて御猟場に設定されたため、禁猟地域となり年々鳥獣が繁殖。ウサギやキジが作物や果実を食い荒らし、大きな被害が出ました。明治23年(1890年)、県は近村の被害を調査し、山鳥、ウサギ、キジ以外の小鳥は、村民による霞網〔かすみあみ〕(注釈2)での狩猟を許可しました。また、被害の手当として、向こう15年間に1町歩あたり約11銭のわずかな金が毎年支給されることになりました。一方、豊富村(船橋市)や白井村(白井市)ではこれを辞退。御猟場指定の解除を願い出、許可されます。習志野市域の農民たちもしばしば御猟場の解除を願い出ましたが、受け入れられませんでした。
 習志野原御猟場では、大正天皇が皇太子のときに三度御遊猟〔ゆうりょう〕を行っています。その他にも皇族や華族をはじめ政治家たちがたびたび訪れていました。明治32年(1899年)には騎兵旅団が設置され、軍の施設ができるにしたがい狭められていきます。大正時代になると全国に多くなりすぎた御猟場を徐々に廃止する政策がとられ、大正11年(1922年)に習志野原御猟場も設定解除になりました。

(注釈1)御猟場・・・天皇および天皇が許可した者の狩猟場
(注釈2)霞網・・・目に見えないほど細かな糸の網
参照資料・・・聖蹟と鳥獣(パルテノン多摩発行)

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