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No.61 平成15年 2月1日号 鷺沼・津田沼付近に東海道の駅があった!? 1

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.61

鷺沼・津田沼付近に東海道の駅があった!? 1

 平城京や平安京が栄えた頃の律令制度下において、私たちの祖先が住んだこの地、下総国〔しもうさのくに〕は東海道に属していました。当初の東海道は、相模国〔さがみのくに〕(神奈川) の三浦半島の走水〔はしりみず〕から、海を経て富津に渡り上総国〔かずさのくに〕に続いていました。

 朝廷は、地方を支配し中央集権的な機構とするために全国に官道を整備し、駅家〔えきか〕(うまや)を設置し、駅馬〔はゆま〕を置きました。「続日本紀〔しょくにほんぎ〕」には768年に下総国の井上〔いかみ〕、浮島、河曲〔かわわ〕の三駅などは、交通も多いので馬を10匹に増やすという記述があります。井上駅は市川市あたりに、河曲駅は千葉市新宿あたりと推定されています。
 さて、浮島駅の位置については幕張説などいくつかの説がありますが、鷺沼・津田沼付近と推定されます。その根拠をあげましょう。まず距離的に市川市国府台と千葉市新宿の中間といえます。そして地名では、浮島が地形を表すものなら、当時の鷺沼は「前が海、台地があって、内陸側に沼」だったわけですからぴったりです。それから、鎌倉時代の「吾妻鏡〔あづまかがみ〕」には、頼朝が鎌倉に入る前に陣を構えた場所として鷺沼御旅館(今の旅館ではない)がでてきます。駅家には厩舎や宿泊施設等を置いたと考えられているので、これもぴったりです。
 さらに心強いのは、角川書店版「日本地名大辞典」の千葉県版に「最初幕張説を主張した吉田東伍も『大日本読史地図』で鷺沼の西の谷〔やつ〕に浮島駅を置いた」と記述があることです。そして千葉県史も現在浮島駅は鷺沼・津田沼付近と推定しています。まだ、遺構が確認されていませんが有力な説とは思いませんか?
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