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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.56 平成14年7月1日号 幻の習志野鉄道構想(大久保の鉄道話)

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.56

幻の習志野鉄道構想(大久保の鉄道話)

 現在のJR津田沼駅付近から大久保を経由して高津まで(現在のハミングロード)の習志野鉄道構想があったことをご存知の方は少ないでしょう。今では消えてしまったレールの跡を少し追いかけてみました。
 かつて軍郷の町として知られた習志野には、広大な習志野原に駐屯する多数の軍事施設があり、連絡線が設けられていました。鉄道敷設などの教育訓練の他に、平時は補給物資の輸送、戦時には緊急な兵員輸送に役立たせる目的があったのです。軍用鉄道の千葉−津田沼間は明治44年に完成しています。軌道間が1メートル以下の軽便鉄道でした。その当時に走っていた「双頭のくろがね馬」といわれた機関車は機関車のカが弱く、津田沼から1キロメートル程行き北へ向って大久保までの坂を上がる一番列車は朝露で苦労しました。兵隊さんの間ではキィーキィーと鳴るのでヴァイオリン坂と称していたそうです。牽引(けんいん)カを強めるために双頭としたのでしょう。
 戦後の軍用鉄道は国鉄の試用線とされていて、レールは残っていたものの、遊休地同然でした。昭和30年12月15号「千葉新聞」に「習志野の旧軍用鉄道を活用 地元が大蔵省、千鉄と、交渉」なる見出しが登場します。京葉工業地域の造成に伴い発展が予想されるためにそれに備えようという運動が大久保の住民の間ですすめられたのです。しかし、住民の願いはかなわず、現在その姿はありません。
 その後昭和35年自衛隊に101鉄道建設隊が生まれました。そこでは、鉄道の敷設、修理、運転など教育訓練がはじまりました。そのため、旧軍から国鉄に移譲された津田沼−大久保間を演習線としていました。その後、すでに廃線となっていた大久保−高津間を建設したのです。下の地図は津田沼演習場の地図です。昭和41年に101建設隊が解散されるまで、レールは使用されていました。
 春になれば満開の桜の花の下でにぎやかに祭りが行われ、休日の朝になると、ジョギングをしたり、犬の散歩をしたりする人々が楽しんでいるハミングロード。軍靴の音とともに双頭のくろがねの馬が駆け抜けていった今は見えない レールからかすかにヴァイオリンの響きが聞こえてくるようです。

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