令和4年6月掲載分

更新日:2022年09月29日

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津軽三味線と沖縄三線~北と南、夢の響演!~

満員のプラッツ習志野市民ホール

満席の会場

令和4年6月20日

5月13日、プラッツ習志野市民ホールで習志野芸能クラブ主催『津軽三味線&沖縄さんしん・夢の響演』が開かれました。
この演奏会の構想は、今から4年ほど前に市民カレッジOBの中で、「津軽三味線と沖縄三線とは北と南で異なる文化ではあるが、共に3本の弦を弾いて演奏する弦楽器。この二つの弦楽器をコラボ出来たら面白いのではないか!」とのアイデアが浮かんだことから始まりました。構想が具体化され、津軽三味線を、習志野芸能クラブの一員である【金子竹千ちくせん社中】が、沖縄三線はイトーヨーカドー津田沼店カルチャーセンターの【沖縄三線】が担当し、共同で演奏会を企画。新型コロナウィルス感染症の影響を受けつつ、ようやく三年越しでの開催にこぎ着けました。

南北の異なる文化が交わる演奏会とあって前評判も高く、前売り券は開演日までに全座席“完売”となりました。

演奏会は、4部構成となっており、まず主催者の習志野芸能クラブの原田会長より開会の挨拶があり、いよいよ第1部「東北民謡の部」が始まりました。

第1部 【東北民謡の部】

津軽三味線を披露するようす

津軽三味線を披露

金子竹千先生(左)と土生みさおさん(右)

金子竹千先生(左)と土生みさおさん

金子竹千社中の方々は、(公財)日本民謡協会・習志野支部長を務められた金子竹千先生のご指導で日頃鍛えられた喉を披露。津軽三味線と言ったら!どなたもご存じ「津軽じょんがら節」の合奏から始まり、続いて、三味線と尺八に太鼓の鳴り物入りで東北民謡が4曲披露されました。
金子先生が謡う『秋田荷方節』には、特別ゲストの習志野市出身で津軽三味線のプロ演奏家土生はぶみさおさんが伴奏されましたが、土生さんの奏でる津軽三味線伴奏だけでも大変見事で、金子先生の名調子と相まって観客をうならせていました。

土生さんの圧巻の津軽三味線の演奏

第1部の最後は、土生さんが超一級の津軽三味線の圧巻演奏と、オリジナル曲で軽快な『桜咲く音頭』を歌われ、観客を魅了していました。

琉球王国についての講演で説明しているところ

第2部 【琉球王国は芸能の島。沖縄三線の話】

第2部からは、沖縄三線にバトンが渡され、沖縄三線講師の宮里英克先生が“沖縄民謡・沖縄三線とは?”の講演を行いました。

美しい海が広がる南国沖縄へは多くの観光客が訪れますが、異文化を持つ沖縄について意外とご存じない無いのでは、ということで、宮里先生から、“うちなぁーぐち(おきなわ言葉)クイズ”から始まり、Q.「めんそーれ」→→→A.「ようこそ、いらっしゃい」などの挨拶ほか、代表的な沖縄言葉や、沖縄の苗字(ベスト3 1位 比嘉さん、2位 金城さん、3位大城さん)に代表される本土と異なる文化の紹介がありました。

続いて、沖縄の大きさ・本土との距離(千葉から1500km <大阪まで500kmの3倍>)と地理の説明から、周辺諸国と友好的な交易を行っていた琉球王国の歴史などを講義。大航海時代のアジア地誌『東方諸国記』に「武器を持たず平和を愛する人たち」と紹介されていたように、琉球人は書道・詩・茶道・立花(いけ花)・音楽などの教養を優先しました。その中で伝統芸能が生まれ、琉球舞踊や琉球古典音楽で使用されたのが沖縄三線です。三線は、中国の三弦をモデルにしたもので、15世紀頃唐から琉球に伝わり、士族の男性のたしなみとされていました。それを日本の楽器として発展したものが「三味線」。ルーツを共にする楽器は、今回の演奏会以前から歴史的に結ばれていたのでしょう! 最後は「沖縄音階」で “ドミファソシ”の5音を抜くことで沖縄らしいメロディーとなるとの説明で講演は終了しました。本土復帰から50年を迎えた現在も基地問題を抱える沖縄ですが、この講演で沖縄への理解度が高まったのではないでしょうか。

三味線を弾いて熱唱する宮里先生

熱唱する宮里先生

第3部 【沖縄三線の演奏の部】

第3部は、宮里先生の三線の弾き歌いで始まり、「花」「島唄」2曲を熱唱後、生徒さんとギターが登場して「安里屋ユンタ」など沖縄を代表する民謡が披露されました。演奏後、音楽に合わせた簡単な体操で身体をほぐした後は、踊りながら太鼓を打ち鳴らす、沖縄の伝統芸“エイサー”グループ「エイサー千花夏風」が登場。一糸乱れぬ踊りと、腹に響き渡る太鼓の音は大迫力でした。

クライマックスは、テンポの早い沖縄民謡の音楽に合わせて踊る“カチューシー”。リズムの良さに観客の方も参加し、賑やかに沖縄三線の演奏が終了しました。

出演者みんなで沖縄民謡を演奏

沖縄民謡を演奏

迫力あるエイサーを踊る出演者たち

迫力あるエイサー

最終の第4部では出演者全員で「ふるさと」を合唱し、終演となりました。
楽しい企画と、見事な演奏の数々で観客の皆さまは満足顔で帰られました
好評につき、今後もこのような演奏会が開かれると良いですね!

■演者プロフィール■

土生みさおさん
第7回津軽三味線日本一決定戦津軽三味線是全国協議会日本一の部で女性初の日本一受賞など、数々のコンクールで優勝を重ねた正統派津軽三味線演奏家として津軽民謡・ソロ演奏のみならず、演歌、アイドル、他の楽器のコラボレーションなど幅広く活躍されています。

金子竹千さん
秋田県湯沢市出身。(公財)日本民謡協会公認師範教授であり、竹千支部を設立。現習志野市民謡民舞連盟会長。日本の伝統芸能を楽しく生活の中に取り入れようと活躍中です。

宮里英克さん
沖縄県那覇市出身で、東京沖縄県人会の理事や、WEBマガジン「ハイサイ! ウチナータイム!」編集長を務め、中学・高校・大学等で“沖縄の文化”について多数講演。三線教室は、津田沼の他、千葉で3カ所、都内や神奈川で教室があり、多数の生徒さんへ三線の魅力を伝えています。

【取材・写真】広報まちかど特派員 酒井正廣さん

鷺沼歴史探訪

令和4年6月16日

鷺沼城址公園の入口

(鷺沼城址公園入口)

(1)「鷺沼御旅館」について
人気沸騰中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、いよいよ佳境に入りました。
ドラマの古に思いをはせ、市役所南方の鷺沼城址公園を散策してみました。
習志野市ホームページの「歴史と年表」によると、鎌倉時代に編さんされたと考えられている歴史書『吾妻鏡』には、治承4年(1180)10月に、源頼朝が「鷺沼御旅館さぎぬまおりょだて」に滞在していたという記事があります。

平治の乱で平氏に敗れ伊豆に流されていた源頼朝は、この年8月に挙兵しますが、石橋山の合戦で敗れ安房の国に逃れました。そして再挙を図り軍勢を進め、最終的には鎌倉に入りました。その途中、武蔵の国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)に入る直前「鷺沼御旅館」に滞在していたとのことです。この「鷺沼御旅館」のあった場所は分かっていませんが、習志野市の鷺沼付近であるという説があります。

城址公園にある埴輪(はにわ)像

中世、習志野市域は千葉氏一族の配下にあったと考えられますが、当時の文献はほとんど残っていないため、どのような村があって誰の支配下にあったのか、といった実態は不明です。江戸時代初期、市域では、谷津、久々田、鷺沼、藤崎、実籾本郷に村があったと考えられますので、中世には、それらの元となった集落がおそらくは、形作られていったのではないかと推察されます。

鷺沼城本丸に続く階段

(鷺沼城本丸に至る階段)

残念ながらドラマには「鷺沼御旅館」のシーンは登場しませんでしたが、このあたりにかつて頼朝が訪れたのかもしれません。ちなみに、津田沼の地名は、谷津、久々田、鷺沼の地名を3つ合わせてできたとのことです。

源田塚の石祠(せきし)

(源田塚の石祠(せきし))

2)鷺沼城と「源太さま」伝説について
「千葉郡史」によると鷺沼城は、鎌倉時代の当地の豪族であった鷺沼源太光義の居城といわれています。ぶらっと習志野市観光ガイドブックの19頁「語り継がれる3人の源田さま」を見ると以下のように説明があります。
鷺沼には「源太さま」の言い伝えが残っており、「源太塚」と呼ばれる石祠があります。菊田神社の棟札むなふだの裏書や伝承によると、1118(治承5)年、土地の豪族鷺沼源太光則みつのりは、罪を受けて、船で相模から安房を目指した藤原師経もろつね一行を、久々田浦で迎えたという事です。

それから100年を経た正応年間(1288~1292)には、源太光義みつよしという豪族が州事の地位にあったと言います。さらに260年程下って1564(永禄7)年、「房総里見軍記」によると、鷺沼源太が下総の諸将とともに北条氏と戦い、敗れたとあります。

鷺沼源太光義諸武士之碑

その慰霊碑が、現在、鷺沼城址公園内にある石碑です。また同公園内に鷺沼館があったという説もあります。
鷺沼では、伝説や軍記物語により複数の源太さまの存在が伝えられています。「源太塚」に祀られている源太様が、誰のことを指すのかは分からないようです。
この地は、下総台地の最南端八剣台の台地西南端に位置しており、当時は西側崖直下に菊田川が流れ、南方400メートル程で海岸線に至っていました。

公園の外周の菊田遊歩道

(公園外周菊田遊歩道)

当時この地に立てば、相当広範囲に周囲を見渡すことができた要衝の地であったようです。菊田川は 暗渠あんきょ化され、現在は遊歩道になっています。

(3)散策を終えて
土曜日の昼前に訪れてみると、親子連れが園内の遊具で遊んでいたほか、散歩をしている方数人に会いました。当市の史跡としてさすが、スピリチュアルな雰囲気がありましたが、人出は少し寂しい気がしました。歴史床しい習志野市の貴重な公園として、今後も大切に保存し、多くの方々に訪れていただくことが大切だと思いました。

【取材・写真】まちかど特派員 佐藤清志さん

雑草魂!習高OBの思いがつまったどら焼き新発売!

令和4年6月13日

雑草魂!習高OBの思いがつまったどら焼き新発売!

昭和42年に京成津田沼駅前で開店された和菓子屋「御菓子司・梅むら」さん。習志野市のふるさと納税返礼品にも指定されている「カフェオレ大福」「ならしのぽんぽこ」「あま酒ゼリー」をはじめ、地元に愛されてきたお菓子を長く販売されています。

梅むらの二代目・堀智弘さんは習志野高校サッカー部OB。修業を始めた20代の頃から「母校に関連した商品を作りたい」と思い続け、なんと37年の時を経て完成したのは、その名も「雑草魂」というどら焼き。熱い思いが伝わるように、「昭和の習高生」というテーマのパッケージデザインを担当されたのは、同じく習志野高校OBである田所さん。習志野高校卒業生の絆が生み出した作品でもあるのです。

雑草を表すために生地に練りこまれたよもぎは郷愁を誘うようにほのかに香り、餡にくるまれた「粘り強く」を願った求肥が育ち盛りの高校生のお腹も心も満たします。

新しいのに懐かしい、どこをとっても習志野高校ファンの胸を熱くせずにはいられない習志野銘菓の誕生です!

雑草魂と書かれた文字と右が男子学生、左に女子学生のイラストが描かれたどら焼の商品パッケージの写真

雑草魂どら焼き。デザイン担当も習高OB!

どら焼きを2つに切った緑色の生地と餡の切断面の写真

「雑草のように粘り強く」を体現した、よもぎ入りの生地とモチモチの求肥

お盆に乗せた、ならしのどら焼き、ならしのぽんぽこ、「ナラシド♪」の顔のお菓子、らむサールの4種類のお菓子の写真

習志野市を代表するお店の新旧銘菓たち。上から時計回りに、ならしのどら焼き、ならしのぽんぽこ、 ナラシド♪まんじゅう、ラムサール

3階建ての「梅むら」店舗の外観を写した写真

昭和42年開業、長く地元に愛される「梅むら」店舗。

 御菓子司・梅むら
雑草魂 1個 280円

  • 住所 千葉県習志野市津田沼5丁目12-1
  • 電話 047-451-6966

(注意)この記事は、広報まちかど特派員インスタグラムでも紹介しています。 下記リンクをご覧ください。

【取材・写真】広報まちかど特派員 平野だいさん

20年ぶりに赤ちゃんとの時間。

令和4年6月8日

20年前、産後の社会復帰をして間もない頃、ファミリー・サポート・センターの方々にはほんとうにお世話になりました。当時の習志野市には民間保育や病後児保育はもちろん、各種助成がなく、新米のワーキングマザーには涙が出るほどしんどい時期、ファミリー・サポート・センターのスタッフの方々や提供会員の方々のサポートがなければとてもやっていけなかったと思っています。

息子も成人して手を離れ(たはず)、数年前に保育士資格を取得し、教育機関で働くようになった私は、ご恩返しにファミリー・サポート・センターの提供会員として登録していました。
私が利用していた頃とは色々と制度や内容が変わっていますが、時代やニーズに合わせた柔軟な変化を常に行われているからだと思われます。

たった数時間でしたが、この日のために徹底的に洗濯され、天日とスチームアイロンで除菌されたウサギさんとベビーブランケットは20年ぶりの大活躍。初めてママと離れて泣いていたベビさんも、いつしか泣き止んで、ウサギさんと一緒に私の膝の上で遊んだり、一緒に英国の人気アニメ"Peppa Pig"を鑑賞し、ブランケットにくるまれてお昼寝もしてくれました。
オンライン勤務中の夫も時々顔をのぞかせては泣かれましたが、久々の可愛らしい小さな手に癒されたのは私たち夫婦だったように思います。

習志野市では育児支援を希望される利用会員さんの数は2,200人を超えているのですが、提供会員さんの数はわずか353人(2022年4月現在)。20%にも満たない状態では、なかなか条件が合う方も少ないと思われます。
実際、私もだいぶ前からお約束していたにも関わらず、直前で母が入院してしまい、あわやキャンセルか、という危機がありました。

日本の少子化を止めるためにも、習志野市の次世代市民を維持するためにも、ファミリー・サポート・センターの存在とご理解ご協力は必要不可欠な市民活動ではないかと思います。
ご興味おありの方はぜひ一度、お問い合せされてみてください。

真っ白なうさぎのぬいぐるみの写真

大活躍のウサギさん

赤ちゃんのつむじをアップで写した写真

赤ちゃんの可愛いつむじ

習志野市ファミリー・サポート・センター(習志野市公式サイト内)

 (注意)この記事は、広報まちかど特派員インスタグラムでも紹介しています。 下記リンクをご覧ください。

【取材・写真】広報まちかど特派員 平野だいさん

この記事に関するお問い合わせ先

このページは広報課が担当しています。
所在地:〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号 市庁舎3階
電話:047-453-9220 ファックス:047-453-9313
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