タスカルーサってどんなまち?
タスカルーサ市の概要
人口 約100,000人
面積 約160平方キロメートル
アメリカ合衆国アラバマ州の中西部に位置するタスカルーサ市は、温暖な気候と美しい自然に恵まれ、人々はサザンホスピタリティーと称されるアメリカ南部に残る伝統的な温かい心の持ち主として定評があります。
緯度は鹿児島市とほぼ同じで、習志野市よりも年間平均気温が高い地域です。

タスカルーサ市遠景
タスカルーサ市は、タスカルーサ湖やブラックウォリアー川に面するところに位置し、アパラチア高原、南アパラチア山脈、ガルフ沿岸平野に接しており、森林や河川など自然が豊富です。タスカルーサ湖は約24平方キロメートルと習志野市よりも面積が広く、巨大な水源であると同時に市民のレジャースポットでもあります。

タスカルーサ湖

ブラックウォリアー川
1826年〜1846年までアラバマ州都として栄えた同市は、現在ではアラバマ大学を中心とした文教都市として発展。産業では、日本・ドイツなど世界各国からの企業が進出しているほか、鉄鋼、石油精製、アルミ、製紙、出版、運輸業などが盛んです。
(注意) アラバマ州のニックネーム…「ハートオブディクシー」(Heart of Dixie:南部の心臓・中心。アメリカ南部の中心州を意味します。)
タスカルーサ市の歴史
- 18世紀以前
ブラックウォリアー川沿いに位置する現在のタスカルーサ市付近には、様々な部族のネイティブ・アメリカンが住んでいました。 - 19世紀当初
19世紀初めに白人の入植者たちが住み始め、1812年を過ぎた頃から急激に人口が増え始めました。
この入植者たちにより、伝説的に偉大なネイティブアメリカンの酋長を称え、この地がタスカルーサと名づけられたました。
ネイティブアメリカンの一部族である「チョクトー」の言葉で、タスカは「戦士」を、ルーサは「黒」を意味します。 - 1817年
アラバマ州が準州となリました。 - 1819年12月13日
タスカルーサ市市制施行。翌日の14日にはアラバマ州がアメリカ合衆国22番目の州となりました。 - 1826年〜46年
タスカルーサ市がアラバマ州の州都となリました。その後州都はモントゴメリーに移り現在にいたっています。 - 1831年
州立アラバマ大学設立。 - 1861年〜65年
南北戦争の際には、アラバマ大学のキャンパスが焼かれ、町のほとんどを失うなどタスカルーサ市は打撃を受けました。 - 19世紀後半
アメリカ軍部隊によるブラックウォリアー川の水門やダムの建設をきっかけに鉱業や冶金産業が振興しました。 - 20世紀〜
アラバマ大学の発展や国内経済の繁栄によってタスカルーサ市は成長し、現在はミシュラン、日本ビクター、ダイムラー・クライスラーなどの国際企業が進出するなど経済的繁栄もめざましいものがあります。

タスカルーサ市がアラバマ州の州都であった当時の州議事堂を復元した「キャピトルパーク」

メルセデス・ベンツ社のタスカルーサ工場
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更新日:2022年09月29日