令和3年9月掲載分
地域の子どもたちに39年間愛され続けているお店〜キャンディポット〜
2021年9月27日

お店の外観
「キャンディポット」は、駄菓子をメインに、文房具や懐かしいおもちゃが並んでいるお店です。39年前にファンシーショップとしてオープンしてからずっと、地域の子どもたちに愛されてきました。

店主の小林さん
お店に入ると、店主の小林さんに優しく迎えていただき、少しお話を聞くことができました。お話を聞くと、このお店は小林さんの優しさであふれていました。
昔、お休みと分かっていても、必ず子どもたちがインターホンを鳴らして「お店あいてる?」と通ってくれたそうです。それ以来、いつでもお店に遊びに来れるように、不定休になったとか…。
お小遣いを手に握りしめてくる子どもたちが簡単に計算ができるように5円単位の価格設定にしたそうです。ゆっくり考えて買い物をする子がいたら、そっと見守る。なかなか計算できない子にはアドバイスをする。
お茶目で明るくお話ししてくださる小林さんの眼差しからは、子どもたちへの愛情が伝わってきました。

お店の様子(文房具)

駄菓子の棚
いつもステキな笑顔の小林さんがいてくれているからこそ、子どもたちが安心してお買い物ができ、今も変わらず、地域の子どもたちの憩いの場になっていると感じました。
とても懐かしい雰囲気の店内を後にした帰り道、ほっこりした気持ちになりました。
(注意)この記事は、広報まちかど特派員インスタグラムでも紹介しています。下記リンクをご覧ください。
写真・取材
広報まちかど特派員 大村 紘未さん
発想の転換!コロナの“禍転じて福と為す”御近所で“異国情緒発見ツアー”?!
2021年9月22日
「食えない・会えない・行かれない」
“ないない尽くし”で昨年同様、“疫病蔓延・緊急事態生活”を強いられた夏も逝き、季節は早「行楽の秋」。
格言に「火事場の馬鹿力」「窮鼠猫を噛む」とある様に人間、窮地に至れば「途方もない発想」で災いを回避するもの。
ならば、ここは発想の転換!コロナ禍転じて福と為す「三密回避・マスク着用で安心安全!パスポート一切無用・市内で楽しむ“仮想海外ツアー”」を勝手に企画。
ここに公開したモノクロ写真は、市内で出逢った「異国情緒漂う風情」の数々。
あくまで独断と個人的視点で捉えた「セーヌ川慕情」「満月浮かぶギザ・ピラミッド」「明鏡止水・塩湖(ウユニ湖)」「中国パンダ」「アルタミラ・洞窟壁画」「ハワイ・ワイキキ通り」「ナイアガラ・瀑布」「ヒースロー空港・夜間発着」「サハラ砂漠・砂紋」他だが、じっくり御覧頂き、あの国、この街、思い出のグルメ・・皆さんの記憶・想像力を駆り立て“御近所世界旅行”で「緊急事態」ならぬ“困窮事態?生活”の鬱憤晴らしにお役立て下さい。
尚、「海外旅行写真はカラーが定番」とは言え、余計な彩色で十人十色の思い出、記憶、想像の邪魔にならぬ様、「白黒(無彩色)写真」としました。




















写真・取材
広報まちかど特派員 坂田 薫さん
ギョッ!何コレ?!コロナ感染予防“パーテーション”?! 実籾の稲田に“巨大稲壁”出現!
2021年9月16日
畦道に深紅の彼岸花、コスモスがそよ吹く風に揺れ、雑木林の古株には珍茸・猿の腰掛がニョッキリ…。



漸く猛暑も影を潜め、朝晩の涼気に深まる秋を感じさせる、人呼んで習志野唯一の“穀倉地帯”「ほたる野」の稲田。
9月某日、その稲田に忽然と姿を現した巨大な“稲の壁”?はたまた“コロナ菌拡散防止パーテーション”!


否違います!…これは刈り取った稲を天日干し乾燥させる為の「稲架(はさ)掛け(はざかけとも呼ぶ)」と呼ばれる櫓。市街地の田んぼで見かける「稲架掛け」は1段干しが殆どだが、こちらは何と!「5段掛け」なのだ。

高さ3メートル、横幅12メートルというこの「ジャンボ稲架掛け櫓」を組んだのは、約30年間、「ほたる野」で自然保護活動を続ける「ボランティアグループ・NORA(のら)の会」(吉井伸二会長)の面々。
同会々員には新潟や秋田の米作農家出身者、所謂“米作りのプロ”が多く在籍し、「我々の田舎では当たり前の光景だが、都会の人はびっくり!だよね」と、吉井会長は破顔一笑。


某日、“コロナ巣籠り生活”ストレス解消に「稲刈り体験」にやって来たという近在の家族グループも「5段稲架掛け」を前に口々に「何コレ?!珍百景だぁ!」「巨大な稲の疫病防止マスク?」等と驚き様も十人十色。
この日グループが刈り取った稲束も後日、晴天の日を選んで「NORAの会」が稲架掛け、脱穀、精米するという。

写真・取材
広報まちかど特派員 坂田 薫さん
「生涯学習」の楽しさと喜びについて語る 〜文武両道の元校長先生(後編)〜
令和3年9月10日
前回に続いてお話をお聞きします。
中学校はもちろん習志野高校に勤務し野球部の監督だった時、「椎名先生」と呼ばせていたとのことですが、「椎名監督」と呼ばせなかったのはなぜですか。また、何を大切に指導したのですか。
自分自身のこだわりであったと思いますが、「監督」と呼ばれると野球だけを教える「野球屋」になってしまいそうだったからです。「ただ勝てばいい」「甲子園に出場できればいい」では、教師になった意味がない。人生の先生でありたい、「教師」でありたいとの思いからです。もちろん先見性や可能性を引き出す指導ができないと良い指導者とは言えません。しかし全員がプロ野球選手にはなれません。子ども達が長い人生を生き抜くためには、「成功体験」と「失敗体験」が必要不可欠だと考えます。発育・発達段階にもよりますが、高校生であれば「甲子園球場」という場は子どもたちを大きく成長させてくれます。ですから、「優勝させたい!」「次のステージ(舞台)に立たせたい!」と思うのは私だけではないと思います。
また、「真のチームワーク」や「本当の全員野球」には、厳しさがあります。私はそれぞれが「役割」と「責任」を果たし、「結果」を出すことを子どもたちに求めました。その上で、互いにカバーし合う「支え合い」「助け合い」が生まれるのだと思います。さらに、指導者と子どもたちや、子どもたち同士の「信頼関係」が芽生え、チームとして「一枚岩の形成」が確立できるのだと思います。
椎名館長の木製バット他
丸長(マルチョウ)木のバット
甲子園出場記念プレート
「指導とはその気にさせること!」であるとはどのような意味でしょうか。
ある指導者講演会の際に、我々が発する「教師の言葉」について、「指導者としての善し悪しに、年齢は関係ありません。しかし、経験は必要です。」と話をしました。なぜならば、「いかに、子どもたちをその気にさせることが出来るか」が大切だからです。「その気にさせる術と、その引き出しをいくつ持っているかが、われわれ教師には問われますよ」と伝えました。いかに、子どもたちを「その気にさせる」ことが出来るか。そのためには、指導者が目的をしっかりおさえ、その状況や状態を踏まえ、その子に合った「心に響く言葉」が必要です。やらされる指導では子どもは長続きしません。必要感に迫られ、自ら考え、行動できるようになるための言葉かけが大切です。これは、われわれ指導者にとって、部活動に限らず、永遠のテーマであり「究極の課題」であると思います。

袖ケ浦公民館のみなさん
「チーム袖ケ浦」のモットーは?
袖ケ浦公民館は、昭和56年5月1日に開館し、今年で節目の40周年を迎えます。開館以来、皆様とともに歴史を積み重ね、独自の地域文化・活動等を推進し、まちづくりの場としての役割を担ってきました。
また、これまで以上に市民生活の向上や仲間づくり・地域社会づくり・地域活性化にも寄与する地域の総合交流拠点施設としての機能を果たしていけるよう、『チーム袖ケ浦(つどい・まなび・つなげる)』をモットーに皆様とともに歩み、職員一丸となって運営して参りたいと考えておりますので、引き続きご支援・ご協力を賜りますようお願いいたします。
椎名館長、有難うございました。ご多忙中にもかかわらず、ご自身の宝物である木製バットをご持参いただき、また豊富なご経験に基づく「指導とはその気にさせること!」など、ご懇篤(こんとく)なるお話を伺うことができ感銘しました。
また、日本一を誇るスポーツや文化など歴史と伝統に基づく豊かなまちづくりが脈々と続いている習志野に感謝し、取材を終了しました。
写真・取材
令和3年度広報まちかど特派員 佐藤 清志さん
令和3年度 習志野市平和祈念事業
2021年9月7日
原爆死没者慰霊および平和祈念式典

献花会場
習志野市平和祈念事業の1つである「平和の広場」にて行われる「原爆死没者慰霊および平和祈念式典」。令和3年度は新型コロナウイルス感染拡大防止と、マスクを着用したままの活動は熱中症の危険性が高まることから中止とされましたが、8月6日と8月9日、「平和の広場」に献花台が設置されました。
8月6日、広島に原爆が投下された午前8時15分、8月9日、長崎に原爆が投下された午前11時2分、亡くなられた方々のご冥福と世界の平和を祈り、防災行政無線放送の鐘の音に合わせ、1分間の黙とうが捧げられました。
参列者は、黙とう後、広島・長崎のモニュメント前に置かれた献花台に持参した生花を捧げ、手を合わせて原爆死没者の方々のご冥福、核の廃絶と世界平和を祈られていました。献花には、小さなお子様連れのご家族もモニュメントに手を合わせていて、世界平和と核兵器廃絶の願いを受け継がれることを切望するばかりです。

献花の様子

献花の様子

入口の様子
また、広場には、平和への願いを込めて制作された千羽鶴が献納されていました。入口には、宮本市長と清水市議会議長のメッセージボードが掲げられ、当市の平和都市宣言の精神が脈々と受け継がれていると感じました。
平和の広場

平和の広場の説明文
秋津公園東側の入口に「平和の広場」はあります。広場には、広島・長崎それぞれのモニュメントがあり、広島のモニュメントの脇には「平和の広場」の説明が書かれていました。
【平和の広場】(説明全文)
この平和広場には、昭和20年8月6日広島市に人類史上初のあの忌まわしい原爆が投下されましたが、その当時、爆心地から1.2キロメートルにあった、広島市庁舎のミカゲ石を、広島市より譲り受け、設置するものであります。
ここに設置したイメージ模型の素案は、千葉工業大学の山本明助教授をリーダーとする、山本研究室にお願いして設計していただいたものであります。
設計に当たっては、広島市のミカゲ石を主体として“強い光を浴び、廃虚となった試練を受けながらも、たくましく・平和で潤いある街が少しずつ起きあがり、未来無限に向って拡がっていく”情景をイメージし、習志野市民の平和への願いである「つくらず・持たず・持ち込ませず」、の非核三原則の具現を意図し、「非核三角形」として表したものであります。
この広場を、原爆で亡くなられた方々の霊を慰めるとともに、二度とこの地球上に、あの惨禍が起こることのないよう祈念し、「平和の広場」として位置づけ、恒久平和を誓い合う広場とします。
習志野市
2つのモニュメント
広島モニュメント

平和の広場 「広島モニュメント」
広場内に、石柱が並んだ一角があります。このモニュメントに使われている石は、昭和20年(1945年)8月6日広島市に原爆が投下された時、爆心地から1.2キロメートルにあった広島市庁舎のミカゲ石が使われています。
長崎モニュメント
広場の中央に、昭和20年(1945年)8月9日長崎市に原爆が投下された時、爆心地近くにあった長崎市立山里小学校(当時は山里国民学校)の被爆校舎の一部が保存されています。モニュメントの正面には平和を願うプレートが取り付けられています。


上部は長崎市の小学校の被爆した壁

万物を穿つ光
光を浴び、風雪に耐えた混凝土の壁は
その役目を終えた
壁の残像の向うに平和の光がみえる
(長崎市立山里小学校被爆校舎より)
核兵器廃絶平和都市宣言記念展
市役所グランドフロア市民協働スペースでは、核兵器廃絶平和都市宣言記念展(7月27日〜8月17日)が開催されました。
入口近くには「核兵器廃絶平和都市宣言」の額、被爆学生服、市民の方々が作成された千羽鶴が展示されており、パネルには被爆写真と被爆体験紙芝居、絵手紙が掲示されていました。
被爆写真や体験紙芝居を通して、原子爆弾の恐ろしさ、悲惨さを改めて触れ、二度と同じ過ちを繰り返してはならないことを痛切に感じました。






写真・取材
広報まちかど特派員 酒井 正廣さん
この記事に関するお問い合わせ先
このページは広報課が担当しています。
所在地:〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号 市庁舎3階
電話:047-453-9220 ファックス:047-453-9313
キャッチボールメールを送る
- この記事に気になることはありましたか?
-
市ホームページをより使いやすくわかりやすいものにするために、皆様のご意見をお聞かせください。
更新日:2022年09月29日