読売巨人軍発祥の地

更新日:2026年05月13日

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読売巨人軍発祥の地碑

読売巨人軍発祥の地碑

谷津公園の谷津バラ園近くには、「読売巨人軍発祥の地」碑があります。大正14年(1925)から昭和57年(1982)にかけて、谷津遊園という遊園地がありました。谷津遊園には様々な施設がありましたが、昭和初期の一時期、野球場がありました。谷津遊園野球場とも谷津球場とも呼ばれています。

第2回日米野球(昭和9年・1934年)の全日本チームがこの地に結集して練習を行い、日米野球後にこのチームを母体として発足したのが日本初のプロ野球球団である大日本東京野球倶楽部、のちの読売巨人軍(読売ジャイアンツ)でした。

こうした経緯を記念するため、昭和41年(1966)1月、谷津遊園内に「読売巨人軍発祥の地」碑が建てられました。昭和57年(1982)の谷津遊園閉園後、谷津遊園跡地は住宅地として再開発され、昭和63年(1988)1月、谷津公園内に現在の二代目の碑が建てられました。

碑の手前には、読売巨人軍の歴代監督や昭和57年(1982)当時の有名選手・コーチなどのサイン・手形を設置しています。

右上から、歴代監督サイン、長嶋茂雄、藤田元司、別所毅彦、川上哲治、正力亨、千葉茂、青田昇、中上英雄(藤本英雄)、江川卓、松本匡史。二段目右から山倉和博、原辰徳、中畑清、山内一弘、国松彰、王貞治、土井正三、末次利光、篠塚利夫(篠塚和典)、西本聖、鹿取義隆。三段目右から阿部慎之助、高橋由伸、堀内恒夫。

読売巨人軍発祥の地碑に設置されている手形

読売巨人軍発祥の地碑は現在リニューアル中です。5月23日から公開予定です。

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谷津球場と第2回日米野球

谷津球場は、昭和9年(1934)8月に作られました。11月に予定されていた第2回日米野球に際し、昭和7年に文部省が出した野球統制令により、神宮球場での試合開催が危ぶまれたため、日米野球及び巨人軍創立の有力支援者であった京成電鉄専務の後藤国彦の発案で、谷津遊園に球場を作ったといわれます。神宮球場が使用できることとなったため、谷津球場では日米野球の試合は行われず、全日本チームの練習に使用されました。10月15日に全日本チームが谷津球場に集結して初練習を行いました。以後、この地で練習をし、10月30日に紅白試合を行って練習合宿を打ち上げています(合宿地は市川だったようです)。

全日本チームのメンバーには、東京六大学野球のスター選手だった三原修(三原脩)、中島治康、水原茂(水原円裕)らを中心に、ビクトル・スタルヒン、沢村英治といった中等学校(現在の高等学校に相当)の有望選手などが集められました。

対する全米チームは、ベーブ・ルースをはじめ、ルー・ゲーリッグ、チャールズ・ゲリンジャーらアメリカ・メジャーリーグの伝説的な選手が並ぶオールスター・チームでした。10月18日にシアトルで結団式を行い、10月20日にバンクーバーを出港、11月2日に横浜港に入港しました。特別列車で東京駅に向かい、東京駅から自動車で日比谷の帝国ホテルまでパレード、夕方から日比谷屋外音楽堂で歓迎会が開催されました。

全日本チーム・全米チーム集合写真

合同練習での集合写真

フリー打撃中のベーブ・ルース

フリー打撃中のベーブ・ルース

11月3日には全日本チームと全米チームが、谷津球場で合同の公開練習を行いました(試合は行っていません)。当日は、収容人数3千人のところに2万人以上の大観衆が詰めかけたといいます。

移動中のベーブ・ルース

谷津球場へ向かうベーブ・ルース

移動中のルー・ゲーリッグ

谷津球場へ向かうルー・ゲーリッグ

日米野球の試合は、11月4日の神宮球場での第1試合から12月1日の宇都宮常設野球場での最終試合まで、18試合が行われました。このうち2試合は、ルース、ミラー両組に分かれての日米混成の試合だったため、日米の対抗試合としては16試合となります。

結果は、全日本チームが16試合全敗しましたが、11月20日に草薙球場(静岡県静岡市)で開催された第10試合では、沢村栄治投手が1回・2回にゲリンジャー、ルース、ゲーリッグ、フォックスというメジャーリーグ有数の強打者からなるクリーンナップを4者連続三振に仕留めるなど、9奪三振の快投を見せました。7回にゲーリッグにホームランを浴びて1対0で敗れたものの、現在に至るまで語り継がれています。

その後の谷津球場

日米野球終了後の12月に、この時の全日本チームを母体として日本初のプロ野球球団である「大日本東京野球倶楽部」が結成されました。翌年のアメリカ遠征中にチーム名を「東京ジャイアンツ(東京巨人軍)」と改称し、これが現在の読売ジャイアンツとなります。東京ジャイアンツも初期は谷津球場で練習をしており、時には試合を開催することもありました。

谷津球場がいつまで存続していたのかは、確実にはわかっていませんが、昭和11年(1936)年7月から始まった日本職業野球連盟所属7チームによるプロ野球公式戦直前の6月までは使用されていたようです。なお、谷津球場の位置は現在の谷津公園・谷津バラ園の西側だと考えられます。

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