【ならしの駅からマップ・コース5】御成街道を往く

更新日:2023年04月24日

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コース5 経路詳細図

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<スタート>津田沼駅

津田沼駅北口界隈

ビル群が建ち並んでいる津田沼駅北口近辺の写真

津田沼駅北口 風景

正福寺

正福寺の大イチョウは市の天然記念物と名木百選No.30に指定されています。樹齢400年といわれる古木は樹高約20メートル、目通り幹囲約4メートル、根回り約11メートルです。

真新しい造りをした正福寺の本堂を門の外から撮影した写真

正福寺

電線や道路にまで伸びている大イチョウの写真

大イチョウ

筆子の碑が書かれた説明版の写真

筆子の碑

藤崎交番前御成街道説明板

1614(慶長19)年に徳川家康が翌年1月に東金で鷹狩りを行うため、佐倉藩主土井利勝に命じ造られた、船橋を起点として東金に至る約37キロメートルの道です。沿道の村に工事が割り振られ、「提灯街道」「一夜街道」の別名があるように、昼夜兼行の工事でごく短期間のうちに完成させたと伝えられています。ただし、家康がこの道を初めて使ったのは1615(元和元)年11月ですので、実際の完成はこの頃だったと考えられます。

藤崎古道

藤崎に残された東金(御成)街道以前の古道。家康が東金で行われる鷹狩りに向かう途中、この道を通り、辺りに咲いていた藤の花の見事さを讃え、この地を「藤咲」と命名したといわれています。「咲」の字は、子安神社の祭神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の名前をはばかって、「崎」に替え、「藤崎」になったといわれています。古道は東金(御成)街道ができると使われなくなり、現在は一部のみが残されて、細い坂道には木々がうっそうと茂っています。

雪が積もった手すりや階段を下から撮影した藤崎古道の写真

藤崎古道

藤崎堀込貝塚

縄文時代中期〜後期の集落遺跡で、大規模な貝塚を伴っています。遺跡が位置する標高約20mの台地は、かつての菊田川とその支流の流れる谷に面していて、貝塚が作られた時代にはこの谷まで海が入りこんでいたと考えられています。貝の分布する範囲は南北約110m、東西およそ80mほどで、西が開いた馬蹄形をしています。貝の見られない周辺部にも、縄文時代中期から後期の住居跡が見つかっていて、このあたりが長期にわたって縄文人の生活の場であったことがわかっています。獣骨のほか、縄文土器や石器(打製石斧、磨製石斧、磨石、石皿)などが出土しています。千葉県指定文化財史跡に指定されています。

後方に木々が立ち並んでいる右手前に鳥居、左手前に説明板が設置されている藤崎堀込貝塚の写真

藤崎堀込貝塚

地図や写真が掲載されている藤崎堀込貝塚の説明板をアップで撮影した写真

藤崎堀込貝塚 説明板

藤崎森林公園

国内には、房総の魅力500選に選ばれた旧大沢家住宅があります。1664(寛文4)年に長生郡長生村に建てられ、その後藤崎森林公園内に移築されました。東日本最古級の古民家です。この住宅は、江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えています。

  • ・開館時間 9時30分〜16時30分(11月〜3月は16時閉館)
  • ・休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、毎月第2金曜日、年末年始
  • ・交通アクセス 京成線京成津田沼駅から徒歩約20分
池の奥に群がって咲いている藤崎森林公園内の藤の花の写真

藤崎森林公園 藤の花

生垣の奥に建つ茅葺屋根の旧大沢家住宅の写真

旧大沢家住宅

鮮やかな紫色の菖蒲の花が咲いている菖蒲園の写真

菖蒲園

騎兵連隊記念碑

明治時代より戦前までの習志野には、騎兵連隊の基地がありました。明治32年には、大久保で騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)・第2旅団(騎兵第15・16連隊)の編成を開始し、軍騎兵連隊の仮兵営が、さらに明治34年には編成が完了しました。明治37年の日露戦争の勃発とともに騎兵第1旅団・第2旅団ともに満州に出征しました。現在は、東邦大学キャンパス内に第13連隊、日本大学キャンパス内に第14連隊の記念碑があります。

校舎の手前に設置された騎兵第13連隊記念の説明看板と石碑の写真

騎兵第13連隊記念碑 東邦大学習志野キャンパス敷地内

大学の敷地内にある形の違う4つの騎兵第14連隊記念碑の写真

騎兵第14連隊記念碑 日本大学生産工学部敷地内

市民プラザ大久保

市民プラザ大久保は、地域の方たちが気軽に安心してご利用できる、ふれあいの場所です。定期的に映画会やコンサートを開催しています。

・お問い合わせ 047-470-8171

ガラス張りで施されている市民プラザ大久保の入り口を撮影した写真

市民プラザ大久保

騎兵旅団司令部跡

八幡公園は旧騎兵旅団司令部の奥庭だったところで、公園の入り口には旅団司令部にあった赤レンガの門柱が残されています。また、園内には、習志野騎兵旅団発祥の地碑、騎兵第一旅団司令部跡の碑などがあります。

赤レンガ造りの2つの門柱の間から騎兵旅団司令部跡を撮影した写真

騎兵旅団司令部跡

園内に設置された習志野騎兵旅団発祥の地碑の写真

習志野騎兵旅団発祥の地碑

誉田八幡神社

大久保の開祖・豊臣方の武将の市角頼母が河内国古市郡誉田(こんだ)村に鎮座する誉田八幡神社の分霊を奉遷した神社です。

手前左右に設置された石灯篭の奥に鎮座する誉田八幡神社の拝殿の写真

誉田八幡神社

法被を着た男性たちが神輿を担いでいる誉田八幡神社の例祭の様子の写真

誉田八幡神社 例祭

一里塚

江戸時代、五街道や主要な脇往還には、一里ごとに一里塚を置いて松などの木を植え、旅人の目印としていましたが、東金街道の一里塚は実籾(大原神社近くの実籾踏切の実籾本郷側)に置かれ、椎の木が植えられていました。この椎の木は、現在第二中学校の校門脇に移植されて、今も静かに生徒たちの成長を見守っています。

椎の木の由来が書かれている一里塚説明板をアップで撮影した写真

椎の木の由来 一里塚説明板

大宮大原神社

イザナギノミコト、イザナミノミコトの男女二神を祀る縁結び、安産の守護神。丑年と未年に行われる「船橋三山七年祭り」の一社です。

鳥居の左右に狛犬がある大宮大原神社の写真

大宮大原神社

ブロック塀の手前に大きさが違う3つの庚申塔が設置されている写真

庚申塔

無量寺

真言宗豊山派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。習志野七福神の寿老人をお祀りしています。明治初期には住職によって寺小屋も行われており、庶民の弟子100人余りを指導していたといわれています。

広大な境内の奥にある無量寺の建物外観の写真

無量寺

竹の柵で囲まれた中に植えてある親子梅の木の写真

親子梅

<ゴール>京成線実籾駅

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電話:047-453-7395 ファックス:047-453-5578
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