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No.14 平成8年10月15日号 千葉氏一族の支配

更新日:2007年8月22日

 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に鷺沼の地名が書かれていることをご存じの方も多いことでしょう。石橋山の合戦に敗れたのち、海路安房に逃れた源頼朝が、分散していた家来や安房・上総・下総三国の武士団の結集を待った地が「鷺沼の御旅館」であったとされています。その頼朝の再起の中心となったのが下総の千葉常胤〔つねたね〕でした。これ以後、千葉氏は鎌倉幕府を支える有力御家人として、この地の支配を強めていきました。その常胤には6人の息子がおり、それぞれ下総・上総の地に所領を与えられ、その地の名を姓とするようになりました。実籾に接している武石町(鎌倉時代は千葉郡武石郷)は三男胤盛〔たねもり〕に与えられ、武石氏を名乗るようになりました。これら千葉氏の一族は、妙見菩薩を信仰していたため、その支配地には妙見信仰の跡が見られます。実籾本郷にも経緯は明らかではありませんが、妙見杜があることから、この地が千葉氏ないしは武石氏の影響下にあったことは容易に想像できます。
 さて、この武石の地名は遠く長野の地でも見ることができます。上田市の南に美ヶ原高原で知られた武石村があります。この武石村の子壇嶺〔こまゆみね〕神社に円柱状の石柱が立っています。年号はありませんがかなり古いものと考えられています。正面には「武石平胤盛」の文字と千葉氏一族の紋である月星紋が確認されています。この人物は前述の千葉(武石)胤盛で、供養のためにたてられたものでしょう。また、同じ武石村の妙見寺の本堂・庫裏の屋根にも月星紋がみられます。これらのことから、この武石村の地にも武石氏の一族が何らかの形で支配をしていたと考えられています。
 このように、鎌倉幕府の成立に大きな働きをした千葉一族は、各地にその足跡を残していきました。

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