No.126 平成23年7月15日号 2万年前の人たち『谷津貝塚埋蔵文化財発掘調査報告書1』の刊行

更新日:2022年09月29日

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2万年前の人たち『谷津貝塚埋蔵文化財発掘調査報告書1』の刊行

黒っぽい色でダイヤモンドの形をした石器の写真

写真1 出土した石器

 今から2万年前、習志野の地ではどんな人たちが暮らしていたのでしょうか。
 JR津田沼駅南口特定土地区画整理事業に伴い、谷津貝塚で発掘調査が行われていましたが、そのうち平成19年度分について整理作業が完了し、報告書が刊行されました(『谷津貝塚埋蔵文化財発掘調査報告書1』)。この報告書に掲載されているのは、市立第一中学校の周辺で行われた5カ所の調査地点の調査で、すべて旧石器時代のものです。今のところ市内で最も古い(今から2万数千年前~1万数千年前)人類の活動の跡といえます。石器や剥片はくへん(石器を作る際などに出る石のかけらで、そのまま道具として使われることもある)など3千7百点以上の遺物が出土しました。また、細かな炭化物が5メートル程度の範囲に集中している地点や、焼けた礫れき(小石)の集まりが発見されており、これらは火をたいた跡だと推定されています。

破片や小石が沢山発掘された調査時の様子の写真

写真2 調査時の様子

 旧石器時代はかなり寒冷な気候でした。海面は現在より100メートル以上低く、東京湾も陸地でした。人々は一カ所に長期間住むことはなく、短期的な滞在と移動を繰り返しながら狩猟と植物採集により食料を得て暮らしていたと考えられています。
 石器に用いられた石材の検討などによれば、谷津貝塚の石器を残した旧石器人たちは、西関東方面から当時は川沿いの低地だった東京湾付近を経てこの地に至った可能性があります。広範囲にわたる移動生活の途中で、この地に滞在したということが想定できるようです。
 この報告書は市立の図書館で閲覧することができます。

付記

谷津貝塚は旧石器時代だけでなく、古墳時代・奈良時代・平安時代にわたる遺跡です。本格的な調査が進められる前、貝殻が遺跡のあちこちに見られたため「貝塚」という名がつけられました。調査の進展により、谷津貝塚で見られる貝殻の多くは、古墳時代〜平安時代の複数の竪穴住居跡の中に廃棄された貝殻の堆積(貝層)に由来することがわかってきました。旧石器時代の貝塚は確認されていません。遺跡名から見てまぎらわしい点がありますが、調査の順番としては先に谷津貝塚という遺跡名がついており、その遺跡の中で旧石器時代の遺物も見つかったということになります。

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