No.104 平成19年12月1日号 ガラス乾板―兵士達の残像

更新日:2022年09月29日

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ガラス乾板 ─ 兵士達の残像

 「ガラス乾板(かんばん)」をご存じですか。 今、写真はデジタル写真が主流ですが、つい10年ほど前まではほとんどがフィルムを使った銀塩(ぎんえん)写真でした。フィルムに塗られた感光剤に光が当たると化学反応を起こすことを利用した仕組みです。フィルムが普及する以前は、ガラスにゼラチン・感光剤を塗ったものが使われていまた。これがガラス乾板です。

 社会教育課には、太平洋戦争以前の兵士などを撮影したガラス乾板が300枚ほど残されています。ほとんどは兵舎を背景にした集合写真で、中には習志野演習場で撮影したと思われるものもあります。
 このガラス乾板は、「太陽社」という写真館のものではないかと言われています。
 太陽社は津田沼の鉄道第二連隊(現在の千葉工業大学付近)のそばにあった写真館です。明治43年(1910年)ごろから軍隊の記念写真の撮影を始め、陸軍御用の写真館として事業を拡大していきました。習志野原や大久保の街並みを撮った「習志野名所」などの絵葉書も出しています。
 また、シベリア出兵(大正7年=1918年)以降は軍隊とともに何度も中国大陸に渡り、軍隊の記録を数多く残しています。したがって、このガラス乾板の画像は津田沼の鉄道連隊や大久保の騎兵連隊の写真である可能性があります。しかし、撮影の時期や部隊名など現段階ではまだわかっておりません。

ガラス乾板に塗布した兵士の集合写真

ガラス乾板

 ガラス乾板は割れやすく表面の皮膜(ひまく)が剥(は)がれやすいことから、取扱いや保存がとても難しい資料です。今のところ原則非公開にせざるをえませんが、今後もできるかぎり保存方法を改善しながら、写された時期や部隊の特定など調査を進めていきたいと考えています。

 これらのガラス乾板の写真には、若い兵士の凛々(りり)しい姿が記録されていますが、日中戦争・太平洋戦争と続く戦禍の中、この兵士の多くが戦場で命を落としたことを思と、深い悲しみを感じます。

参考文献

『習志野市史 第一巻 通史編』習志野市、平成7年
長谷川三郎『鉄道兵の生い立ち』三交社、昭和59年

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