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No.103 平成19年11月1日号 習志野の地名6 忘れられた地名を追う−菊田庄と屋戸崎村  

更新日:2012年3月22日

習志野の地名6 忘れられた地名を追う−菊田庄と屋戸崎村

地名の中には、使われなくなって、次第に忘れられ、どの地域のことだったのかもわからなくなってしまったものがあります。そんな、忘れられて謎になってしまった地名のうち、市内に関するものを紹介しましょう。

 上野国(こうづけのくに)(群馬県)の武士であった岩松氏(新田(にった)氏の一族)の今から550年ほど前(室町時代)の古文書に、下総国(しもうさのくに)の「菊田庄内家中郷」という地名が出てきます。この古文書は岩松氏の所領(領地)の目録で、上野国のほか関東各地に散在した所領が載っています。この菊田庄は現在の菊田神社周辺と言われています。ただし「家中」という地名は菊田神社周辺にはありません。下総にある岩松氏の所領は、現在の柏市周辺に集中していますが、菊田庄だけが遠く離れているのも不思議です。菊田庄に関する史料はこの文書しかありません。このため、書き誤りではないかという説もあります。今後の解明に期待したいと思います。


  市内を東西に貫(つらぬ)く東金(とうがね)(御成(おなり))街道は、慶長(けいちょう)年間(1596〜1615)、徳川家康の命令で造られました。その際、周辺の村々が工事を命じられ、担当区域を割り当てられました。その時の文書の写しである「舟橋より東金新道通覚帳」の中に「屋戸崎村」という村名が出てきます(写真傍線部)。ほかの史料で「谷津 鷺沼村」と書かれている部分に対応するので、谷津と鷺沼を合わせて屋戸崎(やとさき?)と呼んでいたと考えられています。しかし谷津と鷺沼の間には久々田(くぐた)があり、隣り合わない村を一緒にすることには疑問もあり、単なる写し間違いだという説もあります。これも今後の研究に期待したいと思います。

 このほか、習志野市の辺りにあったとも考えられている、古代東海道の駅家(えきや)「浮島駅」の「浮島」も、忘れられた地名の一つといえるでしょう。

 地名は生まれては消えていくものですが、その土地の歴史を語る一種の歴史資料ということもできるかもしれません。忘れられた地名を掘り起こすことも、歴史を調べる上で大切な作業です。

 

参考文献

「菊田庄の諸問題」
『習志野市史 第一巻 通史編』
『習志野市史 第二巻 史料編(1)』
本保弘文『お成り街道−家康鷹狩り道−』

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