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No.100 平成19年8月1日号 習志野の地名3  開拓者達の夢−習志野市内の新田

更新日:2007年8月23日

習志野の地名3  開拓者達の夢−習志野市内の新田

 「新田(しんでん)」はおもに江戸時代に開発された村のことで、ふつう「○○新田」と名付けられ、○○には、開発の中心となった村や人物の名前が入ることが多いようです。
 習志野にも谷津村新田や実籾新田、明治に開かれた塩田の伊藤新田(谷津)などの例があります。しかし、中には名前の由来が分からない新田もあります。

 大久保新田は、江戸時代初期に現在の大阪府羽曳野(はびきの)市周辺にいた武士の一団が、移住してきて開いた新田だといわれ、誉田(こんだ)八幡神社や薬師寺の縁起(えんぎ)*1には開発の経緯が伝えられています。しかし、「大久保」の名前の由来についてはよく分かりません。開発前から大久保と呼ばれ、大久保公民館裏の窪地がその大久保(窪)なのだという人もいます。また、開発を命じた領主が旗本の大久保氏なので、大久保新田と名付けたという説もあります。

  享保期、今の実花小学校の辺(あた)りに開かれた新田が実花新田です。実花新田は、小金牧の一部を開発した林畑(はやしはた)中心の新田で、実籾村を本村として6人の農民が名請(なう)け*2しています。実花の「実」は本村の実籾村の1字をとったらしいのですが、「花」については謎です。一般には花島村(現・千葉市花見川区)の花と言われていますが、花島と実花は距離が遠いことや、花島の史料が見つかってないこともあって、実花新田と花島村の関係はよく分かりません。

 今の第一中学校がある辺りには、昔庄司が池(しょうじがいけ)という池がありました。この周辺に開かれたのが名耕地(なごうち)新田です。鷺沼に残されている『渡辺東淵雑録』によると、天保年間(1830〜44)に船橋の商人大和(やまと)屋(川奈部佐五右衛門)が開発した新田で、もとは谷津村と船橋五日市村の入会(いりあい)地*3となっていたところです。「名耕地」の名前の由来については不明ですが、庄司が池の庄司は前原(船橋市)の上東野(かとうの)家が荘司(しょうじ)(荘園の管理者)を勤めていたことから名付けられたと伝えられています。

*1 縁起:神社・寺の由来・沿革。また、その言い伝えや記録。
*2 名請け:村内に屋敷を持っている村民として登録すること。
*3 入会地:一定の人々のあいだで入会の権利が設定されている山野。

参考文献 『習志野市史 通史編』『新版 習志野−その今と昔』

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