No.93 平成18年10月1日号 シリーズ・災害と闘う6 コレラの恐怖ふたたび―昭和39年のコレラ騒動―

更新日:2022年09月29日

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新ならしの散策 No.93

シリーズ・災害と闘う6 コレラの恐怖ふたたび —昭和39年のコレラ騒動—

 昭和39年(1964年))8月24日の夕方「おい、親分(コレラ)が出たぞ」千葉県衛生研究所(衛生研)の職員だった七山さんは、上司に肩を叩かれた。衛生研の職員のコレラとの戦いはこの時始まった。
 前日の昼頃、国立習志野病院(現済生会習志野病院)に1人の男性が運び込まれた。医師は、患者のもがき苦しむ姿に一瞬コレラを疑ったという。すぐに検体を取り、衛生研に送り分析を依頼した。男性は24日午前10時頃亡くなった。一方、衛生研では検体の分析がすすめられていた。24日夕方にはコレラの疑いが強くなり、七山さんを始め衛生研の職員は息を飲んで検体の変化を見つめた。翌25日早朝、「間違いないコレラだ。」と確信した。

 しかし、コレラの判定は東京の国立予防衛生研究所でしかできない。すぐに車で検体を運ぶとともに、役所や保健所に連絡して必要な措置をとることにした。午後4時35分厚生省(現厚生労働省)から、習志野市内で「エルトール小川型」のコレラ患者が見つかったという発表があった。
 コレラ騒動が始まった。患者の宿泊先・勤め先・接触者への一斉検査が行われ、市民に対して広報車が予防接種を呼びかけた。大久保の町の空からはヘリコプターから消毒が行われ、不安そうに見上げる人々は町の予防接種会場に足を運んだ。

コレラ予防接種所に集まっている人々の白黒写真

予防接種に詰めかける市民

 そんな中、市内に衝撃が走った。患者の同宿者の中から、コレラの保菌者が見つかったのだ。コレラの恐怖が甦ってきた。病院や予防接種会場には長蛇の列が出来た。対策本部や病院には体調不良を訴え、検査を依頼する人が絶えなかった。ワクチンも医師も看護婦も足りない。周辺市町村に応援を頼み、何とか不足を補った。衛生研の職員は他に保菌者が「ないか?感染ルートは?感染予防の対策は?次々と出てくる問題に不眠不休の戦いを強いられた。幸いにも保菌者は1名のみで、他への感染の拡大がないことが明らかになってきた。市民も落ち着きを取戻した。

 9月1日終結宣言が出されコレラ騒動は終わりを告げた。新聞に「コレラの町」と書かれた習志野の、熱い夏が終わった。

参考文献

『千葉県伝染病史』川村 純一 著
『習志野コレラの記憶』(千葉県衛生研究所年報12)

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