No.85 平成17年12月1日号 残された豊かな海の記録―津田沼漁業組合文書

更新日:2022年09月29日

ページID : 4708

新ならしの散策 No.85

残された豊かな海の記録ー津田沼漁業組合文書について

 かつて習志野市の海には干潟が広がり、豊かな幸を人々にもたらしました。人々はその海の恵みを糧として生活をしていました。
 習志野市にあった3つの漁業組合(谷津・津田沼・鷺沼)は、海で生活をする人々によって結成され、人々の生活を支えてきました。しかし、東京湾の埋め立て計画よって3つの漁業組合は解散することになり、津田沼漁業組合も昭和48年(1973年)に解散しました。この時、津田沼漁業業組合事務所にあった帳簿や書類が津田沼の瀬山哲二さんのところに保管され、昨年になって瀬山さんから習志野市に寄贈されました。

 この津田沼漁業組合史料(総点数610点)は、昭和30年代から40年代にかけての組合の帳簿やファイルがほとんどで、その多くは会計や総会に関する史料です。しかし、中には海苔養殖や汐干狩に関する史料もあり、干潟と人々の暮らしを考える上で貴重な史料群といえます。また、昭和24年(1949年)からの「漁業組合長引き継ぎ書類」などがあり、漁業組合の解散までの歩みを知ることもできます。

帽子を被った男性が船を背に写っている白黒写真

干潟での貝漁の様子

 このほかに、海岸の埋め立ての際の漁業権放棄に対する補償に関する史料がいくつか見られます。補償について県と交渉をした漁業組合の委員が、総会で一般組合員に経過を説明する時の議事録からは、困難な交渉に苦悩する委員と、生活の不安を訴える組合員の生の声が記録されています。「海で生活するものは、漁場そのものがすべてであるのです。漁場を犯すものすべてに対してこれを拒みたいのは、漁業者の感情であり生活手段でもあります。」

 昭和42年(1967年)から埋め立て地に建設された袖ヶ浦団地の入居がはじまり、多くの人が新しく習志野市民となり、文教住宅都市として習志野市は発展をしますが、豊かな海が失われたことを忘れてはいけません。津田沼漁業組合史料は、かつて習志野市に豊かな海があったことを記録する貴重な史料です。

教育委員会では、平成17年3月に、今回紹介した津田沼漁業組合史料をはじめ市内で見つかった古文書の目録を、『習志野市史料所在目録 第3集』として刊行する予定です。

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