No.72 平成16年8月1日号 習志野市誕生1 幻の大習志野市構想

更新日:2022年09月29日

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新ならしの散策 No.72

習志野市誕生 1 幻の大習志野市構想

 今年は昭和29年(1954年)に習志野市が市制を施行してから50年目にあたります。そこで4話連続で習志野市成立にかかわる話を掲載します。
 これは今から70年ほど前の昭和10年代のことですが、当時千葉市と船橋市に挟まれていた津田沼町・幕張町・犢橋(こてはし)村・大和田町・睦(むつみ)村・豊富村・二宮町の7町村が合併して、大習志野市を建設しようという構想がありました。
 そんな構想の中心にいたのが、当時津田沼町長であった吉野信氏でした。吉野町長は町長の職務を執りながら、千葉県会議員の職務もこなすという有力な政治家で、ご子息は後に習志野市長となる孝氏です。吉野町長はこの構想を実現するため、多忙な職務の合間を縫って説明に各町村をまわり、首長の交代があれば訪問し構想への協力を依頼するというように、次第に構想実現への歩を固めていったということです。

大習志野市構想の地図

大習志野市構想

 もしこの構想が実現していたら、習志野市はどのくらいの規模の市になっているでしょうか、人口はおよそ65万人で、これは船橋市(55万人)を越え千葉市に次いで県内で2位、面積はおよそ144キロ平方メートルで、これは鴨川市に次いで県内で6位(いずれも平成16年4月現在)となります。まさに千葉市や船橋市と肩を並べるほどの習志野市が誕生していたことになります。しかし、昭和16年(1941年)から始まった太平洋戦争と敗戦によって、大習志野市構想は実現には至りませんでした。
 この話は、かつて市史編さん委員だった故将司正之輔氏の原稿をもとにしていますが、将司先生もこの経緯について「種子は蒔まかれたもののついに発芽を見ずに終わった」と書かれています。この種子が「習志野市」として花開くのには、戦後の「昭和の大合併」を待つことになります。

(注釈)市史編さん室では、大習志野市構想や習志野市成立についての資料などを探しています。心当たりなどありましたら、社会教育課

  • 電話:047-451-1151
  • 内線:462

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