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No.69 平成16年 3月1日号 習志野騎兵旅団長 名将 秋山好古〔よしふる〕その一

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.69

習志野騎兵旅団長 名将秋山好古〔よしふる〕その一

 日露戦争の開戦から、今年で100年になります。そこで習志野となじみの深い騎兵連隊とエピソードの多い秋山好古を探ってみることにしました。
 「(日本の騎兵の父と言われる)秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」とは、日露戦争後、陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人の言葉です。日本における騎兵の活躍といえば、義経や信長、武田の騎馬隊という名前があがります。明治新政府は乗馬戦闘時代は中、近世で終えていると考えて、当初は外国の侵略を防ぐことを主眼においたことと、日本の起伏に富んだ地形を考え、騎兵は無用の長物としていたふしがあります。好古が陸軍士官学校騎兵科を卒業した時も同期は3人しかおらず、馬も他国からは「馬のような動物」と揶揄〔やゆ〕されるものしかいませんでした。そこから脅威の眼を諸外国から向けられるようになったのは、この人物の存在があればこそといえます。
 秋山信三郎好古は安政6年(1859年)1月7日に伊予松山藩(愛媛県)で貧乏士族の三男として生まれ、幼少の頃は体が弱く、泣き虫、鼻汁と涎〔よだれ〕という言葉が似合うような子どもでしたが、成績は抜群だったといいます。成長するにつれ豪放磊落〔ごうほうらいらく〕となり、外国人と間違えられるほど目鼻立ちも整っていました。出身が薩摩長州出身でなく、また貧乏だったために出世は見込めないので、学費無料(教師が不足)の大阪の師範学校を出て18歳で教師となっています。その後学費無料で、給料がもらえる陸軍士官学校にすすんだのです。なぜ、好古は騎兵の道をえらんだのか?それは手足が長く馬を制御し、馬上で戦うのに適していたことと修学期間が1年短く、早く少尉になれるという利点があったからといわれています。続く

2006年にはNHK大河ドラマスペシャルで司馬遼太郎の「坂の上の雲」が75分の20回番組で放映が決定されました。習志野市としても、関わりの深い出来事として、調査を進めていく予定です。ここでは広く市民の皆さんに興味をもってもらえるように取り上げていきたいと思います。また、2月から市のホームページに「日露戦争と習志野」の項目を設けました。実籾・東習志野にあったロシア捕虜収容所について市史編さん室に眠っていた史料や当時の写真を公開しています。

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