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No.59 平成14年10月1日号 すもうの話3 鳳凰〔ほうおう〕、横綱の夢

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.59

すもうの話3 鳳凰〔ほうおう〕、横綱の夢

 前号で紹介しましたが、大関に昇進した鳳凰は、明治31年1月には7勝2分けで最優秀成績(これで4場所目)となり、絶頂期を迎え横綱の声も聞こえてきたのです。その一方で、得意技一辺倒の傾向があり、まだ横綱昇進は早いと不安視するむきもありました。この頃、角力〔すもう〕は東京、大阪それぞれの地域で別々に行われていました。大阪角力の力士の中で早く横綱になったが、結局名誉を汚してしまった者がいて、その影響を受けたようです。当時発行の角力新報第8号には「横綱定まる」という見出しが見つかりました。そこには角力協会の有力者の話として、「5月場所の成績よろしければ来年1月に横綱を張るだろう。最近の鳳凰はすこぶる元気なので悪いことはないだろう」とあり、同力士びいきの連中は願掛けして全勝を祈らんと力んでいると報じました。

 しかし、その願いもむなしく、5月場所は5勝3敗1預かり、翌1月場所は健康を害し2勝3敗4休、その後大関在位6場所で陥落することになってしまいました。そして前頭まで下がり、一時関脇まで盛り返しました。36年に番付面でも鳳凰から宮城野に改名し、再起を図りましたが、7月の札幌巡業中に関節リウマチにかかり、土俵に別れを告げることになってしまいました。
 引退後は部屋再興に尽力、人情厚く後進の受けもよく力士社会の人望家でもあったそうです。協会内では勧進元、審判委員を歴任しましたが、健康を害して辞任し、その任は六代目阿武松親方に代わったということです。
 明治40年5月4日午前7時、脊髄〔せきずい〕病を併発し、享年42歳の若さで旅立ちました。大正2年、門下から鳳〔おおとり〕谷五郎(印西市出身、七代目宮城野馬五郎)が横綱になり、鳳凰の夢を実現させたことは知らずに…。
 現在阿武松部屋に習志野ゆかりの力士で、秋場所には幕下に昇進した八木ヶ谷力士がいます。明治からずいぶん遠くなりましたが活躍を期待したいですね。
協力・・・ベースボールマガジン社相撲編集部

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