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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.57 平成14年8月1日号 すもうの話1 「習志野市と角力〔すもう〕」江戸・明治の話

更新日:2007年8月23日

新ならしの散策 No.57

すもうの話1 「習志野市と角力〔すもう〕」江戸・明治の話

習志野市には十二代目の阿武松〔おおのまつ〕親方がかまえる相撲部屋が鷺沼にあります。鷺沼を選んだ理由は「総武線沿線であること、友人との関係」とはおかみさんの話です。しかし、調べてみると習志野と少し縁があったようです。
 習志野市周辺と角力との関わりは江戸時代から見ることができます。鷺沼村の渡辺東淵〔とうえん〕という医師が江戸後期の出来事を記録した雑録には、江戸時代は部屋ごとの巡業が数多く行なわれていた様子がうかがわれます。嘉永三年(1850年)8月に花角力が高津新田(今の東習志野付近)で、嘉永五年10月には大角力が谷津村で3日間行なわれたとあります。また、「安政四年(1858年)5月に馬加〔まくわり〕宮城野馬五郎石塔できる」とあります。現在も大日堂(現千葉市花見川区幕張)に残っていて、そこには「大関から横綱になった」という意味のことが書かれていますが、この宮城野(四代目)は最高位が関脇だったので、その当時の横綱阿武松と混同したのではないかと言われています。
 明治時代になると我が習志野出身の関取が出現しました。鳳凰〔ほうおう〕馬五郎といいます。この力士の出身を多くの相撲書では千葉郡冬田村としていて、生家を探すのに一昔前は苦労したそうです。冬田村などどこにも見当たらないからです。昔の習志野の地名を御存知の人はもうわかったでしょう?津田沼の地名の元になった久々田〔くぐた〕村の出身だったのです。「久々」を一文字と誤植したのでしょう。鳳凰は慶応二年(1886年)に現在の津田沼6丁目6番3号で、三代川幾藏〔いくぞう〕さんの二男として生まれ、名前を寅之助といいました。現在でも同地に幾藏さんの長男のお孫さんが健在です。化粧回しなども残っていたそうですが、今は人の手に渡っているそうです。
(つづく)
参考資料・・・「千葉県と相撲」小島貞二著
協力・・・ベースボールマガジン社相撲編集部

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