No.49 平成13年6月1日号 ならしの“よもやま話” 「テツの棒」

更新日:2022年09月29日

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ならしの“よもやま話” 「テツの棒」

 生活を支える生業は多様ですが、かつて鷺沼は海岸に接していたため、海による生業は主要なものの一つでした。アサリ採りやカーナ(川菜)ひろい、あるいは、えび・かに・はぜなどの漁は、この地に豊かな海の幸をもたらしました。
 そんな生活の中からうまれたのか、鷺沼には、「テツの棒」という伝説が今も残っています。「テツ」といっても、「鉄」ではありません。ただの「鉄の棒」では、なんだか味気ないですよね。実は、この「テツ」というのは、その当時、漁師をしていた人の名前だそうです。今回は、この「テツの棒」の話をご紹介したいと思います。
 このテツという漁師が、ある日鷺沼のミオの真ん中で亡くなったんですね。ミオというのは、船の通行に適する底深い水路のことです。そこで、供養塔と棒を2本くらい、そこへ建てたんだそうです。
 漁師たちはみなこの辺りを通ったのですが、潮の上げたり下げたりする時に、あんまり水が引いちゃうと浅瀬に乗り上げて帰れなくなってしまうことがあるんです。でも、「テツの棒」のところは、ミオですから深いんですね。だから、漁師たちはそこへ船を係留して、なんどか夜明かしをしたことがあるそうです。
 その時に不思議なことなんですが、「テツの棒」につながれた船の中で夢を見ると、みんな、ネズミがワサワサとでてくる夢を見させられ、それ以来、この「テツの棒」は漁師仲間の中で有名になったそうです。もちろん、ただネズミがワサワサと出てくるだけでは、気味が悪いだけで何の良さもないですよね。実はこの夢を見ると、お金がいっぱい儲かると思われていたようです。
 隣りの町の幕張にも、「オキクの棒」という伝説があるそうで、当時の人々の海と生活の深い関わりを感じ取ることができます。テツは、もしかすると鷺沼のミオに漁師たちを呼び、彼らの生活を支えていたのかも知れませんね。

鷺沼の海岸を写した白黒写真

昭和30年代の鷺沼の海岸

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