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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.45 平成12年11月1日号 「街道を往く〜東金街道2」

更新日:2007年8月23日

「街道を往く〜東金街道2」

 第二中学校の椎〔しい〕の木は、かつて東金街道の一里塚として、現在の京成実籾駅近くの踏切付近にあったものでした。東金街道の起点は船橋市前原西の成田街道との分岐のところですから、この一里塚があったところまで4.7キロメートルになり、今の一里=4キロメートルよりやや長めだったことが分かります。では、実籾の次の一里塚はどこにあったのでしょうか?
 答えは実籾から4.7キロメートル東金寄りの千葉市花見川区犢橋〔こてはし〕町の「向山」と呼ばれる場所だと言われています(本保弘文氏の説より)。

 宝永5(1708)年、赤穂浪士の討ち入りの6年後、この犢橋村と実籾村との間で東金街道の馬継ぎ〔うまつぎ〕をめぐって争いが起こりました。「馬継ぎ」というのは街道を行く旅人相手の駄賃〔だちん〕稼ぎのことで、公の人や荷物については「伝馬〔てんま〕宿」を決め公定賃銭で宿から宿へリレー形式に運んでいましたが、公ではないものは公定賃銭の2倍ほどの賃銭で「駄賃馬」として旅人や荷物の運搬を行っていました。
 史料によると、犢橋村は「昔から犢橋村から船橋まで直通で馬継ぎをやっていた」といい、実籾村は「昔から船橋への荷物は実籾村で馬継ぎをやってから運んでいた」と主張しています。前にも述べたように、犢橋〜実籾、実籾〜船橋は同じ4.7キロメートルで、実籾村は犢橋村と船橋のちょうど中間にあったため、双方とも引くことができず奉行所に訴えるまでにこじれたのでしょう。奉行所は「東金街道は脇街道であり、また実籾村と犢橋村は定められた伝馬宿でもないので、馬継ぎの場所は旅人の都合によって決めるように」という判断を下しました。つまり双方の主張を退け、引き分けともとれる裁定を下したのです。しかし、実際には旅行の費用を浮かすため、犢橋まで直通で馬継ぎを行った旅人が多かったであろうことが想像できます。その意味では、実籾村にとっては少し不利な裁定だったと言わざるをえません。
 今、実籾村の一里塚があったところからは、この事件の史料の所蔵者であり実籾村の名主の一人としてこの事件に深く関わったであろう鴇田〔ときた〕家の、移築復原された住宅の大きな屋根を見ることができます。

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