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習志野市 未来のために〜みんながやさしさでつながるまち〜習志野
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No.33 平成11年1月15日号 オーストリアと習志野

更新日:2007年8月23日

オーストリアと習志野

 東習志野にあったドイツ人収容所には、ドイツ人のほかにもドイツと同盟国だったオーストリア・ハンガリー帝国(以下墺洪国)の将兵もいっしょに捕虜生活をおくりました。
 明治維新の開国以来、日本と墺洪国とはおおむね良好な関係を保っていました。文化的な面では、音楽文化の影響はいうにおよばず、スキーを初めて日本に紹介したのも、新潟県高田の歩兵第58連隊に派遣された墺洪国陸軍レルヒ少佐でした。また、明治26年(1893年)には、墺洪国皇太子フランツ・フェルディナント大公が軍艦カイゼリン・エリーザべト号にのって日本を訪問し、日本中が歓迎の意を表しました。

 その両国の関係が激変したのが第一次世界大戦の勃発〔ぼっぱつ〕(1914年)でした。かつて日本を訪問したフェルナンド皇太子がサラエボで暗殺されたそのとき、カイゼリン・エリーザベト号は、中国に停泊していました。本国からの至急電により、同盟国ドイツの基地のある青島〔チンタオ〕に入港し、ドイツ軍と共に戦うことになりました。激しい砲撃戦の後、弾薬の尽きたエリーザベト号は11月2日未明、青島湾内の最も深い地点に移動した後自爆し、優美な船体を海の底深く沈めていきました。残った乗組員は、青島陥落とともに捕虜となり、日本に送られてきました。習志野にはそのうちおよそ300名の墺洪国人が収容されました。
 習志野収容所内での墺洪国人たちは、音楽の国の国民らしく音楽活動を盛んに行っていました。収容所内で行われたコンサートのプログラムが残されていますが、大正8年(1919年)のオーストリア分隊主催のコンサートでは、ベートーベン、サン=サーンス、シューマン、シューベルト、サラサーテなどの名曲の数々が演奏されました。
 まだまだ農村の風情の残る周辺の地域には、これらの名曲を鉄条網越しに聴き、親しんでいた住民の方々も数多くいたことでしょう。

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