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谷津貝塚ってどこにある?

更新日:2018年3月13日

谷津貝塚の位置

 谷津貝塚は、習志野市の西側、現在の奏の杜と呼ばれる地域周辺に所在する遺跡です。

 JR津田沼駅の南側から京成本線の谷津駅〜京成津田沼駅間の線路北側付近にまで及ぶ、比較的面積の大きい遺跡です。

 JR津田沼駅南口特定土地区画整理事業に伴い、大規模な現地調査が平成19年度から22年度にわたり実施されました。

 遺跡の全域にわたって行われた発掘調査の結果、奈良・平安時代の大規模な集落が谷津に存在していたことがわかりました。では、当時谷津に住んでいた人々はどのような環境に囲まれていたのでしょうか。

奈良・平安時代の谷津

 奈良・平安時代の谷津周辺は、現在の街並みとは異なる風景が広がっていました。

 上の図の緑色の部分は千葉県の北部一帯に広く発達している下総台地の範囲を示しています。谷津貝塚はこのうち、下総下位面(薄い緑色の部分)と呼ばれる、標高10m〜15m程度の比較的低い台地の南はしに位置しています。

 また、現在の谷津周辺の風景と最も異なるのは、東京湾の海がとても近かったという点です。現在の習志野市の海岸線は、明治時代の伊藤新田の開発や、昭和の京葉港埋立てなどによって、大きく後退しています。これらの近現代の大規模な改変を受ける以前の海岸線は、現在の千葉街道、国道14号線から海側に数m〜200m程度の位置にあったと考えられます。

 それから、谷津貝塚の周辺は、北側の海老川がつくった谷筋と、東側の菊田川がつくった谷筋などに囲まれた地形になっております。また、遺跡の南側には今もはっきりと残る谷筋が広がっています(上図の少し黄色い部分)。この谷は現在の谷津郵便局付近から京成線の線路に沿って東に延び、まろにえ橋の下を経由して、現在の習志野郵便局の南側付近にまで広がっています。

 このように、奈良・平安時代の谷津周辺は現在とは全く異なり、海に面し、谷や川に囲まれた自然豊かな環境であったと考えられます。そして、こうした環境であったことを裏付けるように、地域の大集落・谷津貝塚からは農具や漁撈具、魚骨など、生業にかかわる様々な資料が見つかっています。

令制国と谷津貝塚

 令制国とは、古代の律令制下に令の規定に基づいて定められた地方行政単位のことです。行政単位の規模としては現在の都道府県に似ています。

 谷津貝塚が所在する習志野市周辺は、令制国の一つである下総国の範囲に位置しています。下総国は、現在の千葉県北部地域(野田市〜千葉市)や茨城県西部、埼玉県東端部にまたがる東海道諸国の一つであり、下総国の政務を司る役所である下総国府は現在の市川市国府台にありました。

 また、古代令制国は税収の規模等に応じ大国・上国・中国・下国の四等級に分けられており、下総国は大国に位置付けられていました。令制国の下には郡や里(郷)という行政単位が置かれ、班田や徴税といった律令行政を行ううえで重要な機能を果たしていました。

 習志野市の周辺が下総国の何という郡・郷に位置づけられていたのかについては、実はあまりよく分かっていません。習志野市域はおおむね下総国千葉郡の範囲に位置していたという見方もありますが、今後慎重に議論すべき課題だと考えられます。

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