習志野の歴史と年表

更新日:2024年02月02日

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旧石器時代〜弥生時代

 習志野市内では、今から2万数千年前の旧石器時代から人類の痕跡が確認できます。このころは、かなり寒冷な気候だったようです。海面は現在より100メートル以上低く、東京湾は陸地でした。人々は一カ所に長期間住むことはなく、短期的な滞在と移動を繰り返しながら狩猟と植物採集により食料を得て暮らしていたと考えられています。谷津貝塚という遺跡の市立第一中学校周辺の地点で、この時代の石器や火をたいた跡が発見されています。

 縄文時代になると、気候は温暖化していきました。人々は一定の場所に比較的長期間住み着くようになります。地面を掘りくぼめた竪穴住居で暮らしていました。市内では、縄文時代早期の花咲新田台遺跡をはじめとして、実籾3丁目遺跡・実籾霊園遺跡(前期)、藤崎堀込貝塚(中期~後期)、藤崎3丁目南遺跡(後期)などで集落の跡が見つかっています。縄文時代は、土器づくりがはじまった時代でもあります。遺跡からは縄文土器や石器など、当時の暮らしを物語る多くの遺物が出土しています。また、人々が食用にしたあとの貝を廃棄した貝塚が作られました。藤崎堀込貝塚は、貝塚の中でも規模の大きなもので、千葉県指定文化財(史跡)に指定されています。

 弥生時代は、大陸から伝わった水稲耕作を中心とする農耕、鉄器・青銅器などの使用が始まり、支配者層が生まれ、各地域で政治的なまとまりができるなど、社会が大きく変わった時代ですが、この時代の遺跡は市内では今のところ確認されていません。

古墳時代〜平安時代

 古墳時代は、弥生時代に生まれた各地域の政治的なまとまりの統合が進んでいった時代です。支配者たちの大型の墓である「古墳」が造られたのがこの時代の特徴です。市内には、鷺沼城址公園周辺に鷺沼古墳という古墳時代後期(6世紀後半)の古墳群があります。このあたりを支配した豪族の墓であると考えられます。もう少し古い時代では、実籾霊園遺跡などで石製模造品の工房の跡が見つかっています。石製模造品とは、やわらかい石で勾玉などの形を小さく模造したもので、副葬・祭祀に使われるものです。
 奈良時代・平安時代には、JR津田沼駅の南側の台地を中心として集落の跡が確認されています。特に、平成19年度から平成25年度にかけて本調査が実施された(整理作業を含む)谷津貝塚では、7世紀末から10世紀前半にかけての拠点的な集落の跡が明らかになりました。二百数十年間に建てられた建物跡は、竪穴住居跡400軒以上、掘立柱建物跡200棟以上にのぼります。海に面する台地上に立地し、農耕と漁撈(ぎょろう)、さらに、ウシの飼育も行われていたようです。役所に関わる人間とのつながりも見られます。9世紀後半に集落は最盛期を迎え、鍛冶工房を伴う大型の掘立柱建物群が建ち並びます。墨書土器(墨でまじないなどの文字を書いた土器)を含む大量の土器が投棄される祭祀的な饗宴も行われていたようです。

中世(平安時代末〜戦国時代)

 鎌倉時代末に編纂されたと考えられている歴史書『吾妻鏡あずまかがみ』には、治承4年(1180年)10月に、源頼朝が「鷺沼御旅館」に滞在していたという記事があります。平治の乱で平氏に敗れ伊豆に流されていた源頼朝は、この年8月に挙兵しますが、石橋山の合戦で敗れて安房国に逃れました。そして上総国の上総広常や下総国の千葉常胤など豪族の支援を受けて再挙をはかり、東京湾沿いに軍勢を進め、最終的には10月6日に鎌倉に入りました。この記事はその途中、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)に入る直前のことです。この「鷺沼御旅館」のあった場所はわかっていませんが、習志野市の鷺沼付近であるという説があります。
 室町時代~戦国時代の合戦を描いた軍記物語(『房総里見軍記』『関八州古戦録』など)には、鷺沼源吾・鷺沼源太・鷺沼七郎兵衛といった名の武士が出てきます。「常総軍記」(赤松宗旦『利根川図志』に引用)では千葉勝胤(天文元年(1532年)死去)の家臣として「鷺沼に木村十太夫」が配置されていたと記されています。ただし、これらの軍記物語は江戸時代になってから作られたもので、明らかな誤りや創作も多いため、こうした記事を歴史的事実としてそのまま信用することはできません。中世、習志野市域は千葉氏一族の勢力下にあったと考えられますが、当時の文献はほとんど残っていないため、どのような村があって誰の支配下にあったのか、といった実態は不明です。

 市内ではまだ明確に中世の集落跡といえる遺跡は発見されていませんが、中世の遺跡としては、実籾3丁目遺跡では道路跡・地下式坑を伴う台地整形遺構が発見されました。また、実籾城跡では土塁や堀などが確認されており、砦として使われたのではないかと考えられます。したがって、実籾本郷に中世の集落があった可能性は高いと思われます。
 江戸時代初期、市域では谷津・久々田・鷺沼・藤崎・実籾本郷に村があったと考えられますので、中世には、それらの村のもととなった集落がおそらくは形作られていったのではないかと推測されます。

近世(江戸時代)

 戦国時代末期、後北条氏の支配下に入った千葉氏は、天正18年(1590年)に後北条氏とともに滅亡。その後、徳川家康が関東を領有するようになり、慶長8年(1603年)に江戸幕府が開府しました。
 江戸時代の市域には、谷津村・久々田(くぐた)村・鷺沼村・藤崎村・実籾村の他、新田開発により成立した大久保新田などがありました。これらの村々に藩領はなく、いずれも幕府領または旗本領でした。なかには一つの村を複数の領主が分割支配する相給 (あいきゅう)村落もありました。
 村々は大消費地江戸近郊の生産地として発展していきます。海岸沿いの房総往還(千葉街道)や本市を東西に横断する東金(御成)街道は、幕府の役人や住民の通行、物資輸送のために利用され、街道沿いには集落が成長していきました。海上輸送も盛んに行われ、江戸との間を多くの船が行き交いました。
 また、現在の東習志野地区は幕府の直轄牧場である小金牧の一部、下野(しもの)牧に含まれていました。近隣の村には街道や牧の管理のため重い負担が課せられ、将軍が鹿 (しし)狩りを行う際には、市域の村々の百姓も勢子人足(せこにんそく)(狩場で獲物の鳥獣を追う人夫)として動員されました。嘉永2年(1849年)の鹿狩りで勢子が目印にした鷺沼村の村小旗は現在も残っており、千葉県指定文化財に指定されています。

近代(明治時代〜終戦)

 明治6年(1873年)、今の習志野市・船橋市・八千代市にまたがる小金牧の一部が陸軍の演習場となり、明治天皇が「習志野原」と命名しました。明治22年には谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村が合併して人口約4千5百人の津田沼村が誕生し、明治36年には津田沼町となります。実籾・屋敷は幕張村、のち幕張町の一部となります。
 演習場に引き続き、明治29年に高津廠舎(日露戦争・第一次世界大戦中にはロシア兵・ドイツ兵の捕虜収容所が置かれる)、明治32年に大久保の騎兵旅団、同40年津田沼の鉄道大隊(のち鉄道第2連隊)が置かれるなど軍関連施設が建設されました。一方、明治28年の総武線津田沼駅、大正10年代の京成線各駅の開業など鉄道も発展します。こうした軍隊と鉄道の存在は、町並みの発展に大きな影響を与えました。

年表(明治時代)
西暦 和暦 できごと
1868年 慶応4年
明治元年
1869年 明治2年 葛飾県設置
1870年 明治3年 佐倉藩に編入
1871年 明治4年 廃藩置県、佐倉県のち印旛県に
1873年 明治6年
  • 明治天皇観閲のもと大和田原で陸軍近衛兵の演習 演習後に「習志野原」と命名され、正式に陸軍の演習場に
  • 千葉県発足
  • 菊田学校(のちの菊田小学校)・実籾学校(のちの実籾小学校)設立
1874年 明治7年 藤崎学校・鷺沼学校・大久保学校(それぞれのちに−小学校)設立
1875年 明治8年 谷津学校(のちの谷津小学校)設立
1877年

明治

10年

コレラ流行
1878年

明治

11年

谷津村・久々田村が連合、藤崎村・大久保新田・鷺沼村が連合、実籾村・長作村・天戸村・花島村が連合し、それぞれ連合戸長役場を設置
1879年

明治

12年

コレラ流行
1880年

明治

13年

教育令改正、藤崎小学校が鷺沼小学校の分校になる
1882年

明治

15年

  • 実籾・天戸・長作小学校が合併、長作小学校になる
  • 馬加・武石・天戸・長作・実籾の五村が連合し、馬加村に連合戸長役場を設置
1887年

明治

20年

鷺沼・菊田・藤崎・谷津・大久保の5小学校が合併、三輝尋常小学校(のち菊田尋常小学校と改称)となり、鷺沼・藤崎・谷津・大久保は分校となる
1889年

明治

22年

  • 津田沼村誕生 久々田・谷津・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村が合併
  • 幕張村誕生 実籾・馬加・武石・長作・天戸の5村が合併
  • 鷺沼尋常小学校が独立
1894年

明治

27年

  • 総武鉄道市川−佐倉間開通、本所−市川間開通
  • 津田沼高等小学校創立
1895年

明治

28年

  • 大久保尋常小学校が独立
  • 総武鉄道津田沼駅開業
1896年

明治

29年

  • 大久保及び三山に陸軍第1師団経理部が習志野秣倉庫を設置
  • 幕張村が幕張町になる
  • このころ陸軍高津廠舎設置か
1899年

明治

32年

  • 塩業調査所津田沼試験場設置
  • 騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)・第2旅団(騎兵第15・16連隊)の編成開始
1900年

明治

33年

久々田に株式会社津田沼商業銀行設立
1901年

明治

34年

  • 騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)・第2旅団(騎兵第15・16連隊)の編成完了
  • 陸軍習志野衛戍病院設置
1902年

明治

35年

津田沼郵便局・久々田郵便局開設
1903年

明治

36年

津田沼村が津田沼町になる
秋山好古、騎兵第1旅団長に就任(〜1906年)
1904年

明治

37年

日露戦争(〜1905年) 騎兵第1旅団・第2旅団出征
1905年

明治

38年

習志野俘虜収容所設置 ロシア兵捕虜を収容(〜1906年)
1907年

明治

40年

  • 総武鉄道国有化
  • 鉄道連隊の編成開始、中野から津田沼に移転
1908年

明治

41年

  • 津田沼尋常高等小学校設置、菊田・鷺沼・大久保・谷津・藤崎の各尋常小学校は分教場となる
  • 鉄道連隊の本部・第1大隊・第2大隊が千葉に移転、津田沼には第3大隊が残る
1910年

明治

43年

津田沼尋常高等小学校校舎を新築
1911年

明治

44年

  • 津田沼町役場設置
  • 京成電気軌道、津田沼・大久保地区等への電灯供給事業開始
  • 鉄道連隊、千葉−津田沼間に軽便鉄道線路を敷設
年表(大正時代)
西暦 和暦 できごと
1912年 大正元年 吉野茂助、私立大正学館を創立(〜1933年)
1914年 大正3年
1915年 大正4年
1917年 大正6年 9月30日夜〜10月1日未明、暴風雨及び高潮により海岸部が大きな被害を受ける
1918年 大正7年
  • 鉄道第2連隊編成(鉄道連隊第3大隊が昇格、千葉の鉄道連隊は鉄道第1連隊となる)
  • 伊藤飛行機研究所が津田沼町鷺沼に移転
1919年 大正8年 習志野俘虜収容所のドイツ兵オーケストラ「美しく青きドナウ」を演奏
1921年

大正

10年

京成線船橋−千葉間開通、谷津海岸駅(現谷津駅)・京成津田沼駅開業
1922年

大正

11年

兵頭精(伊藤飛行機研究所練習部卒業生)が三等飛行機操縦士免状を取得 日本における女性飛行士第1号
1923年

大正

12年

関東大震災 陸軍高津廠舎に避難民収容 鉄道第2連隊が総武線の運転、避難民の収容、救援部隊・救援物資の輸送、鉄道・橋梁の復旧 習志野衛戍病院は負傷者治療、軍医・看護兵が東京方面に出動して治療活動 混乱の中で保護の名目で習志野の俘虜収容所に収容された朝鮮人が引き出され殺害される
1924年

大正

13年

鉄道第2連隊の編成完了
1925年

大正

14年

  • 谷津遊園開園
  • 軍事教練が官公立の大学予科・高等学校・専門学校・中学校・師範学校及び徴兵猶予を認可された私立学校で必修となる
1926年

大正

15年
(昭和元年)

  • 津田沼町立津田沼青年訓練所・幕張町立幕張青年訓練所設置
  • 京成線津田沼−成田間開通、京成大久保駅・実籾駅開業
年表(昭和戦前)
西暦 和暦 できごと
1927年 昭和2年
  • 菊田・鷺沼・谷津・藤崎分教場が津田沼尋常高等小学校本校に統合される
  • 京成線谷津支線開通 花輪−谷津遊園間(〜1934年)
1931年 昭和6年 阪東妻三郎、谷津遊園内に大日本自由映画プロダクション阪妻関東撮影所を設置(〜1936年)
1932年 昭和7年
  • 阪妻関東撮影所、火災により現像室・フィルム整理場・試写室を全焼
  • ロサンゼルスオリンピックで、騎兵第16連隊の西竹一中尉が馬術大障害飛越競技で優勝、金メダル獲得
  • 騎兵第1旅団主力が満州に出征
1933年 昭和8年
  • 津田沼町農業補習学校設置
  • 騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)、満州に移転
  • 騎兵第16連隊、騎兵第13連隊跡地に移転
  • 戦車第2連隊、千葉市から騎兵第14連隊跡地に移転
  • 騎兵第16連隊跡地に陸軍習志野学校設置
1934年 昭和9年
  • 谷津遊園内に谷津球場建設 第二回日米野球のため結成された全日本チームの初の合同練習が行われる(このチームが後の読売ジャイアンツの母体となる) ベーブ・ルースら全米チームも参加した日米合同練習も行われる
  • 陸軍習志野演習場内に圍壁建設
1935年

昭和

10年

  • 総武線、船橋−千葉間の電車運転開始 両国・千葉間の電化完了
  • 騎兵第2旅団に騎砲兵大隊設置
  • 津田沼青年訓練所・津田沼農業補習学校が津田沼青年学校に統合
  • 幕張青年訓練所・幕張農業補習学校が幕張青年学校に統合
1936年

昭和

11年

  • 大久保分教場、藤崎に移転
  • 津田沼尋常高等小学校附属幼稚園開園
  • 騎兵第2旅団騎砲兵大隊、騎砲兵連隊に改編
1937年

昭和

12年

  • 鉄道第6連隊編成
  • 軍事教練、大学でも必修となる
1938年

昭和

13年

篠原機械製作所、埼玉県越谷から実籾に移転
1941年

昭和

16年

  • 国民学校令施行 尋常・高等小学校が国民学校に改称
  • 騎兵第2旅団解隊
  • 鉄道第9連隊編成
  • 太平洋戦争(〜1945年)
1942年

昭和

17年

田中航空機製作所、津田沼町に工場設置
1944年

昭和

19年

鉄道第10連隊・第11連隊・第12連隊・第15連隊編成・大久保国民学校創立
1945年

昭和

20年

  • 鉄道第17連隊編成
  • 終戦

現代(戦後〜)

 第二次世界大戦後、旧軍施設は学校・住宅・工場などに変わりました。習志野演習場跡地も開拓され、現在の東習志野地区のもとが形作られました。
 昭和29年(1954年)8月1日、津田沼町と千葉市の一部が合併し、習志野市が発足しました。この後、習志野市は、高度経済成長下に急激な変貌を遂げます。昭和40年代の第1次埋立て、同50年代の第2次埋立てによって住宅地の造成が進み、一方では市立習志野高等学校の設立(昭和32年)及び野球部・吹奏楽部などの活躍、千葉工業大学・日本大学生産工学部・東邦大学付属東邦中学校・高等学校の転入、習志野文化ホールの開館など、「習志野市文教住宅都市憲章」(昭和45年)にふさわしい文教住宅都市として、また首都圏のベッドタウンとして発展しました。昭和61年には米国アラバマ州タスカルーサ市と姉妹都市提携を行い、国際交流を深めています。

年表(昭和戦後)
西暦 和暦 できごと
1945年

昭和

20年

  • 習志野原開拓開始
  • 習志野陸軍病院、厚生省の所管となり、国立療養所習志野病院と改称
1946年

昭和

21年

  • 船橋市・津田沼町・幕張町などによる市町村組合立習志野農業学校が二宮町薬園台に創立(〜1950年)
  • 習志野学校跡地に千葉医科大学附属研究所設置
  • 騎兵第16連隊跡地・戦車第2連隊跡地に帝国女子理学専門学校・帝国女子医学専門学校薬学科が移転(のちの東邦大学)
  • 新京成電鉄創立
  • 鉄道第2連隊材料廠跡地に千葉県立千葉工業学校が移転(1948年千葉工業高校に昇格)
1947年

昭和

22年

  • 津田沼国民学校・大久保国民学校を津田沼小学校・大久保小学校に改称
  • 千葉工業大学、田中航空機械製作所津田沼工場跡地に転入
  • 津田沼中学校創立
  • 新京成線新津田沼−薬園台間開通 新津田沼駅開業
1949年

昭和

24年

  • 津田沼中学校、第一中学校・第二中学校に分離
  • 菊田保育所・大久保保育所設置
  • 千葉医科大学附属研究所、千葉大学腐敗研究所となる
  • 旧陸軍水道施設が津田沼町に移管、町営水道開始
1950年

昭和

25年

  • 津田沼小学校谷津分校設置
  • 千葉工業大学・東邦大学、新制大学として認可
  • 小倉珠算学校設置
1951年

昭和

26年

  • 谷津小学校創立
  • 騎砲兵連隊跡地に順天堂大学設置
1952年

昭和

27年

  • 千葉工業大学、鉄道第2連隊跡地に移転
  • 東邦大学付属東邦高等学校創立
  • 津田沼町立家政学校、鉄道第2連隊将校集会所跡地に創立(〜1954年)
1953年

昭和

28年

  • 二宮町、船橋市に合併
  • 鷺沼小学校創立
  • 新京成電鉄・京成電鉄の相互乗入れ開始
1954年

昭和

29年

1955年

昭和

30年

  • 市紋章制定 
  • 『広報習志野』創刊
  • し尿処理事業・家庭ごみ回収開始
1956年

昭和

31年

実籾保育所開所
1957年

昭和

32年

1958年

昭和

33年

  • 習志野消防署発足、常備消防開始
  • 実籾中学校が第二中学校に統合
  • 市営ガス供給開始
1959年

昭和

34年

実籾塵芥焼却場完成
1960年

昭和

35年

1961年

昭和

36年

  • 鷺沼保育所開所
  • 新津田沼駅が藤崎台駅と改称、別に新津田沼駅を新設 新京成線は前原−藤崎台−京成津田沼、前原−新津田沼の2系統となる
1962年

昭和

37年

杉の子幼稚園開園
1963年

昭和

38年

  • 若松保育所開所 仲よし幼稚園開園 大久保東小学校創立
  • 習志野高校ボクシング部が全国高校総体で優勝
1964年

昭和

39年

  • 習志野市役所庁舎完成
  • 第一次埋立開始
  • コレラ発生
  • 京葉道路の船橋−谷津間開通
1965年

昭和

40年

日本大学第一工学部(現生産工学部)設置
1966年

昭和

41年

  • 藤崎保育所開所
  • 京葉道路谷津−幕張間開通
  • 市民会館開館
  • 第一次埋立地(袖ケ浦)を市域に編入
  • 習志野高校サッカー部が全国高校サッカー選手権大会で優勝
1967年

昭和

42年

  • 村小旗・藤崎堀込貝塚が千葉県指定文化財に指定される
  • つくし幼稚園開園 袖ケ浦西小学校・第三中学校創立
  • 県立千葉工業高校が千葉市へ転出
  • 習志野高校野球部が全国高校野球選手権大会優勝
1968年

昭和

43年

  • 市立図書館開館 谷津保育所開所
  • 新津田沼駅移転、藤崎台駅を廃止 新京成線は2系統から前原−新津田沼−京成津田沼の1系統へ
  • 地域担当制開始
1969年

昭和

44年

  • 営団地下鉄東西線東陽町−西船橋間開通、津田沼乗入れ
  • 東習志野小学校・袖ケ浦東小学校・第四中学校創立
  • 袖ケ浦保育所・東習志野保育所開所
1970年

昭和

45年

  • 文教住宅都市憲章制定
  • 公害防止条例制定
  • 市の木をアカシア、市の花をあじさいと決める
  • 習志野市教育研究所設置 本大久保保育所開所
1971年

昭和

46年

東習志野幼稚園開園 菊田公民館開館
1972年

昭和

47年

  • 習志野高校サッカー部が全国サッカー選手権で優勝
  • 学校給食センター・視聴覚センター設置
  • 袖ケ浦体育館開館 袖ケ浦テニスコート開設
  • 屋敷小学校創立 谷津幼稚園開園
  • 市営国民宿舎しおさい開設
  • あかしあ学園開園
  • 第一中学校移転
1973年

昭和

48年

  • 津田沼幼稚園開園 あじさい学園開園
  • 大久保公民館開館
  • 鹿野山少年自然の家・富士吉田青年の家開設
  • 大久保第二保育所・袖ケ浦第二保育所開所
  • 若潮国体開催 習志野市はボクシング会場
1974年

昭和

49年

  • 藤崎小学校創立 袖ケ浦東幼稚園・屋敷幼稚園開園
  • 勤労青少年会館開館
  • 芙蓉園開園
1975年

昭和

50年

  • マラソン道路開通
  • 保健会館開館 あづまこども会館開館
  • 習志野高校、東習志野へ移転
  • 実花小学校・向山小学校創立
  • 藤崎幼稚園・向山幼稚園・大久保東幼稚園開園
  • 花の実園開園
  • 旧大沢家住宅が千葉県指定文化財に指定される
  • 習志野高校野球部が全国高校野球選手権大会で優勝、国体で優勝
1976年

昭和

51年

  • 新栄幼稚園・袖ケ浦幼稚園開園 本大久保第二保育所開所
  • 藤崎正福寺大イチョウ・鷺沼古墳B号墳箱式石棺・海苔養殖用具他一括が市指定文化財に指定される
  • 旧大沢家住宅開館
1977年

昭和

52年

  • 屋敷公民館開館
  • 第二次埋立地(秋津・茜浜・香澄・芝園)を市域に編入
1978年

昭和

53年

  • 第五中学校・第六中学校創立 県立津田沼高等学校創立
  • 袖ケ浦西幼稚園開園
  • 谷津コミュニティセンター設置
  • 習志野少年少女オーケストラがウィーン青少年音楽祭に参加、4位入賞
  • 習志野文化ホール開館
1979年

昭和

54年

  • 実花公民館開館
  • 仲よし幼稚園廃園
1980年

昭和

55年

  • 秋津小学校・第七中学校創立 秋津幼稚園開園
  • 秋津保育所・菊田第二保育所開所
  • ひまわり学園開園
  • 実籾テニスコート・富士吉田青年の家体育館設置
  • 大久保図書館開館
1981年

昭和

56年

  • 香澄幼稚園開園 香澄小学校創立
  • 袖ケ浦公民館開館
  • 習志野高校吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクールで金賞受賞
  • 南消防署設置 海浜霊園設置
1982年

昭和

57年

  • さくらの家・いずみの家開設
  • 谷津公民館・東習志野図書館・東習志野コミュニティセンター開館
  • 勤労会館開館
  • 核兵器廃絶平和都市宣言
  • 秋津サッカー場開設
  • 谷津遊園閉園
1983年

昭和

58年

  • 県立実籾高等学校創立
  • 芝園清掃センター操業開始
  • 花の実園・希望の家開設
1984年

昭和

59年

  • プラネタリウム館開館
  • 津田沼浄化センター処理開始
  • 秋津野球場開設
1985年

昭和

60年

  • 習志野高校男子バレーボール部、全国高校バレーボール選抜優勝大会男子の部で優勝
  • 青少年音楽祭開催
1986年

昭和

61年

  • 京葉線西船橋−千葉みなと間開通、新習志野駅開業
  • 谷津南小学校創立
  • 米国アラバマ州タスカルーサ市と姉妹都市提携調印
1987年

昭和

62年

  • 習志野市国際交流協会設立
  • 習志野緑地開設
1988年

昭和

63年

  • 秋津公園平和の広場完成 秋津テニスコート開設
  • 順天堂大学が印旛郡へ転出
  • 谷津バラ園開園
  • 茜浜衛生処理場操業開始
  • ソウル五輪金メダリスト・鈴木大地選手に初の市民栄誉賞
  • 環境庁が谷津干潟を国設鳥獣保護区・特別保護地区に指定
  • 消防協力隊発足
年表(平成)
西暦 和暦 できごと
1989年 平成元年
  • 谷津南保育所開所
  • 白鷺園改築、デイサービスセンター開設
1990年 平成2年
  • 東部連絡所を東習志野コミュニティセンター内に開設
  • ふれあい橋完成
1991年 平成3年
  • まろにえ橋完成
  • ふじさきふれあいセンター開設
  • 旧鴇田家住宅を市指定文化財に指定
1992年 平成4年
  • 新習志野図書館・新習志野公民館開館
  • 西部連絡所開設
  • 谷津干潟公園、一部開設
  • 第四中学校吹奏楽部、習志野高校吹奏楽部、習志野ウィンド・オーケストラが全日本吹奏楽コンクールで金賞
1993年 平成5年
  • 藤崎図書館開館
  • 谷津干潟がラムサール条約登録湿地に認定される
  • 実籾保育所廃止
  • 習志野保健所、新庁舎に移転
1994年 平成6年
  • 東部保健福祉センター開設
  • 谷津干潟自然観察センター開設
  • 東部体育館開館
  • 市民まつり「習志野きらっと'94」開催
1995年 平成7年
  • 生涯学習地区センターゆうゆう館開館
  • 市民カレッジ開講
  • 谷津干潟国際シンポジウム開催
  • 習志野高校ボクシング部員、全国高校総体・国体で個人優勝
  • 習志野高校サッカー部が全国高校総体で優勝
  • 谷津小学校管弦楽クラブ、全国学校合奏コンクール小学校の部で優勝
1996年 平成8年
  • 谷津コミュニティセンター改築 谷津図書館開館
  • 実花幼稚園開園
  • 実籾駅橋上化
  • 千葉県国際水泳場開設
1997年 平成9年
  • 習志野高校第二グラウンド移転
  • 谷津干潟の日(6月10日)制定
  • 全国中学校体育大会で第五中学校生徒が陸上女子100メートル・200メートル、第七中学校生徒が水泳女子平泳ぎ100メートルで優勝
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで金賞
  • 習志野高校ボクシング部員、国体で個人優勝
  • 第一中学校管弦楽部、全国学校合奏コンクールで最優秀賞
1998年

平成

10年

  • 第五中学校吹奏楽部、こども音楽コンクールで文部大臣奨励賞
  • オーストラリア・ブリズベン市のブーンダル湿地と谷津干潟の間で湿地提携調印
  • タウンテレビ習志野開局
  • 千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)が国の登録有形文化財に登録
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで3年連続金賞
1999年

平成

11年

習志野都市計画道路3・3・3号線開通
2000年

平成

12年

  • 特別史料展「ドイツ兵士の見たNARASHINO 習志野俘虜収容所」開催
  • あきつ園開園
  • 中央公園パークゴルフ場開設
  • 戸籍事務電算化開始
  • 旧鴇田家住宅開館
  • こどもセンター開設
  • 谷津小学校管弦楽クラブ、全国学校合奏コンクールで最優秀賞
  • 第一中学校管弦楽部、全国学校合奏コンクールで最優秀賞、こども音楽コンクールで文部大臣奨励賞
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで金賞、全日本マーチングフェスティバルで金賞
2001年

平成

13年

  • 習志野郵便局移転
  • 習志野市教育基本計画策定
  • 埋蔵文化財調査室開設
  • 谷津小学校管弦楽クラブ、こども音楽コンクールで文部科学大臣奨励賞、全国学校合奏コンクールで最優秀賞
  • 習志野高校ボクシング部員、高校総体・国体で個人優勝
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで金賞
2002年

平成

14年

  • 旧陸軍演習場内圍壁が国の登録有形文化財に登録
  • 習志野文化ホール、リニューアルオープン
  • 習志野警察署、移転
  • 市内図書館のインターネット蔵書検索サービス・蔵書予約開始
  • 芝園清掃工場本稼働開始
  • 谷津小学校管弦楽クラブ、こども音楽コンクールで文部科学大臣奨励賞
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本アンサンブルコンテスト・フルート三重奏で金賞、全日本吹奏楽コンクールで3年連続金賞、全日本マーチングフェスティバルで金賞
  • 習志野高校ボクシング部員、全国高校ボクシング選抜大会・高校総体・国体で個人優勝
  • 袖ケ浦西小学校生徒、全国陸上競技交流大会女子走り幅跳び優勝
  • 第一中学校生徒、全国テニス選手権大会女子シングルス優勝
  • 第一中学校バスケットボール部、全国中学校バスケットボール大会優勝
2003年

平成

15年

  • 廣瀬家住宅主家・蔵・倉庫・井戸上屋が国の登録有形文化財に登録
  • 谷津小学校管弦楽クラブ・第一中学校管弦楽部、こども音楽コンクールで文部科学大臣奨励賞
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本アンサンブルコンテストフルート八重奏で金賞、全日本マーチングフェスティバルで金賞
  • 男女共同参画センター、市民活動インフォメーションルーム開設
2004年

平成

16年

  • 下総三山の七年祭りが千葉県指定文化財に指定
  • 習志野市男女共同参画推進条例・習志野市犯罪のない安全で安心なまちづくり条例施行
  • 第二中学校、全国中学校軟式野球大会で優勝
  • 市制施行50周年記念式典
2005年

平成

17年

  • 旧鴇田家住宅が千葉県指定文化財に指定
  • 粗大ごみ収集有料化 リサイクルプラザ再生品販売開始
  • 次世代育成支援対策行動計画・生涯スポーツ基本計画・交通バリアフリー基本構想開始
  • 2005千葉きらめき総体水泳競技(競泳・飛込)開催
  • 知的障害者グループホーム赤とんぼ開設
  • 谷津小学校管弦楽クラブ、全国学校合奏コンクールで最優秀賞、こども音楽コンクールで文部科学大臣奨励賞
  • 第五中学校吹奏楽部、こども音楽コンクールで文部科学大臣奨励賞、全日本吹奏楽コンクールで金賞
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで金賞
  • 習志野高校ボクシング部員、全国高校ボクシング選抜大会・国体で優勝
2006年

平成

18年

  • 東習志野こども園開園
  • 茜浜パークゴルフ場開設
  • 生涯学習施設等の指定管理者による管理運営開始
2007年

平成

19年

  • 谷津干潟自然観察センター等の指定管理者による管理運営開始
  • 千葉県国際水泳場で世界競泳2007イン ジャパン開催
  • 台風9号により谷津干潟に大量のごみ漂着、ボランティア・市・環境省が撤去
  • 親子のつどいの広場きらっ子ルームやつ開設
  • コミュニティバス実証運行開始
  • 第五中学校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで金賞
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本マーチングコンテストで金賞
  • 習志野高校ボクシング部、全国高校総体で優勝
2008年

平成

20年

  • 消防本部に高機能消防指令センター開設
  • きらっ子ルームおおくぼ開設
  • 鈴木金属工業、「SUZUKI AWARD(地域社会貢献賞)」を創設
  • 習志野高校ボクシング部、全国高校総体で優勝
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクール・全日本マーチングコンテストで金賞
2009年

平成

21年

  • JR津田沼駅南口連絡所開設
  • ボクシング・粟生隆寛選手に市民栄誉賞
  • ブレーメン習志野開設
2010年

平成

22年

  • 中央公園橋完成
  • ゆめ半島千葉国体水泳競技会開催
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本マーチングコンテストで金賞
2011年

平成

23年

  • 東日本大震災 液状化等による被害
  • 芝園テニスコート・フットサル場開設
2012年

平成

24年

  • 市民プラザ大久保開設
  • 杉の子こども園開設
  • 市内で173年ぶりの金環日食を観測
  • 市役所の一部機能が京成津田沼駅南口駅前ビルの仮庁舎に移転
  • 津田沼小学校新校舎・体育館完成
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本マーチングコンテストで金賞
2013年

平成

25年

  • 3年連続日本一を達成したアメリカンフットボールチームのオービック・シーガルズに市民栄誉賞
  • 京都府京田辺市と災害時相互応援協定を締結
  • 谷津地区の一部住居表示を奏の杜に変更
  • 東関東自動車道谷津船橋インターチェンジ開通
  • 「習志野市基本構想」(平成26〜37年度)策定
  • 習志野高校体操部員、国際ジュニア体操競技大会で個人総合優勝
2014年

平成

26年

  • アメリカンフットボールチームのオービック・シーガルズが4年連続日本一を達成
  • 習志野市ご当地キャラ「ナラシド♪」が谷津干潟に「飛来」
  • 実籾3丁目遺跡出土土器を習志野市指定文化財に指定
  • 習志野市中央消防署実籾分遣所の建替え完成、習志野市東消防署に名称変更
  • 袖ケ浦こども園開園
  • 群馬県上野村と「健康なまちづくりにおける相互応援に関する協定」締結
  • 平成26年度全国高等学校総合体育大会水泳競技(競泳・飛込)開催(千葉県国際総合水泳場)
  • 本大久保ホームタウン自治会自主防災会が防災まちづくり大賞総務大臣賞・県地域防災力向上知事表彰・防災功労者内閣総理大臣表彰受賞
  • 習志野市制施行60周年記念式典(新「習志野市歌」発表、健康なまち習志野宣言)
  • 習志野高校吹奏楽部、全日本マーチングコンテストで金賞
2015年

平成

27年

2016年

平成

28年

  • 習志野市PRソング「ドレミファナラシド♪」作成
  • 茜浜衛生処理場閉鎖
  • プラネタリウム館閉館
  • 実籾コミュニティホール開設
  • 習志野都市計画道路3・3・1号東習志野実籾線立体交差化
  • タスカルーサ市と姉妹都市提携30周年
2017年

平成

29年

  • 習志野市こどもセンター(鷺沼)リニューアルオープン
  • ナラシドウォーター♪がモンドセレクション2年連続金賞受賞
  • 新市庁舎竣工
2018年

平成

30年

  • 第二中学校新体育館完成
  • 市庁舎がグッドデザイン賞を受賞
  • 習志野市ブランドメッセージ「あしたの和声(ハーモニー)が響くまち 習志野市」を公表
  • 野球・福浦和也選手に市民栄誉賞
  • ラムサール条約登録25周年
2019年 令和元年
  • 中央消防署谷津奏の杜出張所開設
  • 大久保こども園、新習志野こども園開設
  • 新給食センター開設
  • 「ドイツ俘虜関係資料」を市指定有形文化財に指定
  • しおかぜホール茜浜開設
  • 生涯学習複合施設「プラッツ習志野」開設
2020年 令和2年
  • 新型コロナウイルス感染症拡大、市内小中学校等一斉休校
  • 谷津小学校新校舎・体育館完成
  • 習志野隕石を発見
2021年 令和3年

消防本部新庁舎完成

2022年 令和4年
  • 習志野市パートナーシップ・ファミリーシップ制度開始
  • 虐待・暴力・いじめ・差別から自身を含む大切な人を守る都市宣言を制定
2023年 令和5年
  • 藤崎冨士講社の富士塚を市指定文化財に指定
  • 習志野文化ホール長期休館
  • 習志野ソーセージがちば文化資産に登録

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所在地:〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号 市庁舎2階
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